セバスチャン コー。 1984 LA Olympic Men’s 1500M Sebastian Coe VS. Steve Ovett

【陸上】世界陸連コー会長が電通との取引で不適切行為の疑い 英国会が調査の可能性 [あずささん★]

セバスチャン コー

五輪で陸上男子1500メートルを2度制しているコー会長は、ラミーヌ・ディアック()前会長が2021年に行われる第18回世界陸上()の開催地を同州ユージーン()に決定した際のロビー活動について批判にさらされている。 英紙タイムズ()によると、2021年大会のライバル候補地としてスウェーデン・イエーテボリ()招致委の責任者を務めていたビョルン・エリクソン()氏は、25日にコー会長から電話があり、正式な投票手続きが行われずに開催地がユージーンに決まったのは間違いだったと話していたと伝えられている。 しかしながら、コー会長は4月に実施された決定について自らの責任を否定している。 エリクソン氏はまた、開催地がユージーンに決まった件について、8月に退任したディアック前会長が首謀者とされているIAAFの汚職事件に関連してフランス警察が捜査中であると、コー会長が示唆したことも明らかにした。 ディアック前会長は、選手がドーピング検査で陽性反応を示したことを隠蔽(いんぺい)する見返りに、関係者から賄賂を受け取った容疑でも捜査されている。 エリクソン氏は、「セバスチャン・コー氏の話を正しく解釈するならば、彼は『私は手続きが正しくなかったことに同感だ』と語っていた。 しかし、彼自身の関与は否定し、他の人物に責任があると主張している」と明かした。 コー会長は2021年大会の招致でユージーンの強力な支援者となっており、通常の手続きを破棄するために実施された今年の投票ではIAAFの評議員を務めていた。 ユージーンで創設されたナイキは、招致の際に同市を強力に支援していた。 さらに、英国放送協会()は24日、コー会長がナイキの重役に対して、ユージーンを代表してディアック前会長に「接触」を図ることを確約した電子メールの内容を伝えていた。

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スティーブ・オベット

セバスチャン コー

net 世界陸連のセバスチャン・コー会長(63・英国)が、自らが会長を務めるスポーツ代理店が、電通との取引を申告しなかったなど、不適切な行為をした疑いが持たれ、英国会から調査される可能性があることが20日、分かった。 同日、英国高級紙デイリーテレグラフが特報で報じた。 ジョン・ニコルソン下院議員は、世界陸連のテレビ放映権など商業上の権利をコー会長自らが会長を務めるCSMスポーツ・エンターテインメント社が保有し、利益を得ていたことを問題視。 また、その電通との契約条件についても懸念があるという。 さらにコー会長は役職上、CSM社と電通との取引について、利益相反になる可能性がありながら、これを世界陸連に一切、申告していない。 世界陸連の広報官もコー会長が、CSM社と電通との取引や、それによって得た利益について一切、申告していないことを認め、これは同連盟の規約に違反する。 ニコルソン議員は「緊急の問題として、デジタル文化メディアスポーツ省のダウデン相に調査を進言する」と明らかにした。 コー会長は「私と世界陸連、CSMは、強力なガバナンスにより、コンプライアンスを順守している。 不適切な行為の申し立てを非常に真剣に受け止めている」と同紙の取材に答えた。 コー会長は1980年モスクワ五輪、84年ロサンゼルス五輪の陸上男子1500メートルで2大会連続金メダルに輝いた元スター選手。 2012年ロンドン五輪では組織委員会会長を務めた。 15年に世界陸連の会長に就任。 そのときCSM社は直接、世界陸連から仕事を受けたことはなく、利益相反について、厳格なコンプライアンスを常に順守している、と強調していた。 国際オリンピック委員会(IOC)はすでに理事会で、コー会長らを新委員候補として7月の総会に推薦することを決定。 IOCのバッハ会長は「この推薦を受け入れる条件は、CSM社の会長職から退くこと」と話していた。 コー会長は現在も、CSM社の会長に留まっている。 net.

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【陸上】世界陸連コー会長が電通との取引で不適切行為の疑い 英国会が調査の可能性 [あずささん★]

セバスチャン コー

北海道マラソンをただ一度だけ走ったことがある。 2005年8月、30度近い夏の暑さにかなり疲弊していた時、沿道から映画「炎のランナー」のテーマ曲が聞こえてきた。 この音楽は、清涼剤となり、ゴールまで足を運ぶ気力と高揚感を与えてくれたことを記憶している。 タイムは、3時間11分01秒、夏のフルマラソンとして個人的には満足できるものだった。 イギリス映画「炎のランナー」は、1982年にアカデミー賞作品賞、作曲賞その他合計4部門を受賞している。 この映画は、は1920年代に活躍した実在の二人の英国人ランナーを主人公として描かれているが、この映画の製作のきっかけを作ったのは、モスクワオリンピックに出場した二人の英国人ランナーの大活躍にあるとされている。 セバスチャン・コーとスティーブ・オベット。 ライバルでありながら、対照的な二人、常に優等生だったコーとどこか反骨的雰囲気のあるオベット。 モスクワオリンピックの決勝で大接戦を演じ、800Mはオベットが金、コーは銀、1500Mはコーが金、オベットが銅とイギリス陸上中距離界の強さを世界に見せつけた。 それから4年の時を超え、二人の対決はLAで再現する。 ところが、この時オベットにモスクワ同様の活躍を期待するのは厳しい状況だった。 彼は気管支炎を患い、過酷なコンディションだったのだ。 それでも彼は意地を見せ、800M、1500Mとも決勝進出を果たす。 しかし、800m決勝で何とか入賞を果たしたものの、1500M決勝を走りきれる力はもはや残っていなかった。 一方、コーはモスクワ大会に続く輝きを見せる。 1500Mでは2連覇の金、800Mでも銀。 LAでのレースの結果は、後の彼らの人生を象徴するかのようだった。 90年代に入り二人は相次いで引退表明する。 オベットがほどなく表舞台から姿を消したのに対し、コーは引退後、政界に進出する。 2007年にはIAAF 国際陸連 の副会長になり、2012年にはロンドンオリンピック組織委員会会長として大会を成功に導く。 そして昨年、IAAFの会長に選出され、現在に至っている。 炎のランナーのひとりセバスチャン・コーは今でも第一線を走り続けている。

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