宗像 サニックス。 宗像サニックスブルースとは

おもろく生きる。「3年」の宝を胸に、谷峻輔(宗像サニックス)が征く。

宗像 サニックス

歴史 [ ] に ラグビー部として福岡県社会人Cリーグ(から見ると5部相当)に加盟し、同リーグ戦に優勝。 その後、飛び級という異例な形でに西日本Bリーグ(2部)に加盟。 には同Aリーグ(1部)への加盟を果たす。 には西日本Aリーグで念願の初優勝を果たし、に出場するが、予選リーグ(プール)戦で敗退。 その後も西日本リーグでまで4連覇を達成し、ラグビー界の新興勢力ながらも、その実力は九州一を誇る強豪に成長する。 に発足した第1回に参加し、チーム名も「 福岡サニックスボムズ」とするが、関東・関西の強豪に前に屈し、2勝9敗・勝ち点14の最下位(12位)でトップリーグの2部組織の一つ・に降格。 にトップ九州と、その後のに優勝して1年でトップリーグ復帰を果たす。 チーム名を「 福岡サニックスブルース」に変更したはトップリーグ史上初の全敗(11敗・勝ち点2)を記録したが、入替戦でに勝ってトップリーグ残留を決めた。 は最下位(14位)となり入替戦でに敗れ、9年ぶりに再降格となった。 ので1位となり1年でトップリーグ再復帰を果たすものの、同年は最下位(16位)となり3度目の再降格となったが、翌年の入替戦でを下し、1年でのトップリーグ再復帰を再び果たした。 2014年、宗像市内で行われた記者会見で同日よりチーム名を福岡サニックスブルースから「 宗像サニックスブルース」に変更した。 トップリーグではの7位が最高である。 成績 [ ] リーグ戦戦績 [ ]• 2003-2004シーズン 12位(2勝9敗)、Aへ自動降格• 2004-2005シーズン トップキュウシュウA 優勝、トップチャレンジ1・1位、トップリーグへ自動昇格• 2005-2006シーズン 12位(11敗)、トップリーグ入替戦・勝利、トップリーグ残留• 2006-2007シーズン 9位(5勝7敗1分)• 2007-2008シーズン 12位(4勝9敗)、トップリーグ入替戦・勝利、トップリーグ残留• 2008-2009シーズン 11位(3勝10敗)、トップリーグ入替戦・勝利、トップリーグ残留• 2009-2010シーズン 7位(6勝7敗)• 2010-2011シーズン 8位(5勝7敗1分)• 2011-2012シーズン 11位(4勝9敗)、トップリーグ入替戦・勝利、トップリーグ残留• 2012-2013シーズン 14位(1勝12敗)、トップリーグ入替戦・敗戦、トップキュウシュウAへ降格• 2013-2014シーズン トップキュウシュウA 優勝(予選リーグ 6勝・1位、決勝リーグ1-3位グループ 2勝)、トップチャレンジ1・1位、トップリーグへ自動昇格• 2014-2015シーズン 総合順位16位(1stステージ・プールA 1勝6敗・8位、2ndステージ・プールB 1勝6敗・8位)、トップキュウシュウAへ自動降格• 2015-2016シーズン トップキュウシュウA 優勝(予選リーグ 7勝・1位、決勝リーグ1-4位グループ 3勝)、トップチャレンジ1・1位、トップリーグ入替戦・勝利、トップリーグへ昇格• 2016-2017シーズン 11位(7勝8敗)• 2017-2018シーズン 13位(リーグ戦・ホワイトカンファレンス 1勝12敗・7位、順位決定トーナメント、1回戦・勝利、13位決定戦・勝利)、トップリーグ入替戦・勝利、トップリーグ残留• 2018-2019シーズン 13位(リーグ戦・レッドカンファレンス 0勝7敗・8位、順位決定トーナメント、1回戦・勝利、13位決定戦・勝利 トップリーグカップ 15位(プール戦0勝3敗・4位、順位決定トーナメント、15位決定戦・勝利)、トップリーグ入替戦・勝利、トップリーグ残留• 2019-2020シーズン ( プール戦敗退(プール戦1勝4敗・5位) 獲得タイトル [ ]• 優勝:1回(2012)• 優勝:2回(2001、2003) 2019年陣容 [ ] 太字は今年からの新加入選手• (現・)• (現・)• (日本代表)• (現・)• (、現・PSIコストカッツ)• (日本代表)• (現・)• (及び日本代表、現・日本代表ヘッドコーチ)• (現・ヘッドコーチ)• (元7人制日本代表ヘッドコーチ)• (現・BKコーチ)• (現・)• (現・)• (現・)• (日本代表)現サニックスFWコーチ• (現在は・所属)• (日本代表)• (現・釜石シーウェイブス)• チェコ代表• (現・)• (日本代表)• (日本代表)• (日本代表)• 脚注 [ ].

次の

密に過ごした1年に「後悔なし」。 束田涼太(宗像サニックス)

宗像 サニックス

<追加新入団選手> (略歴)名前。 生年月日。 ポジション。 出身校。 コメント。 1) 小野晃征(おの・こうせい)1987年4月17日。 171cm。 81kg。 チームに合流し、サポーターの皆さんとスタジアムで会える日を楽しみにしています」 2) レメキ ロマノ ラヴァ(Lomano Lava Lemeki)1989年1月20日。 177cm。 92kg。 WTB。 選手やスタッフの皆さんと一緒に、ラグビーすることを楽しみにしています。 自分の持っている力を発揮し、チームに貢献していきます」 RELATED NEWS•

次の

密に過ごした1年に「後悔なし」。 束田涼太(宗像サニックス)

宗像 サニックス

コロナ禍で多くのスポーツが延期や中止されるなか、NumberWebでは、『Sports Graphic Number』の過去の記事から、「こんなときだからこそ読んで欲しい」と思う記事を特別公開します! 今回は、昨年ラグビー日本代表を初のW杯ベスト8へ導いたジェイミー・ジョセフの物語です。 玄界灘を望む宗像にあるサニックス(現・宗像サニックスブルース)に加入したのは1995年。 ラグビーで結ばれた仲間たちとの出会いを、改めて振り返ります(2016年12月1日発売/Number916号より)。 サニックスは愛のチームだ。 福岡県遠賀郡、国道沿いの寿司割烹店、かつて、この支店でホールを担当した年配の女性に顔写真を差し出してみた。 「覚えてます」 水草郁子さんは、息子の親友を見るような目で続けた。 「いつもナマスシ、ナマスシって。 並寿司のことなんですよね」 日本代表の新しいHC、ジェイミー・ジョセフは、1995年から2002年までサニックスに在籍した。 ラグビー界がプロ容認に踏み切って、その先駆として日本の新興クラブにやってきたのだ。 グラウンドのそばにあった寿司店の「みよし」を気に入り、足を運んだ。 新鮮なにぎりが8貫の「ナマスシ」が好物だった。 ハイ、ミヨシ。 道ですれ違うと、赤ん坊の笑顔で手を挙げた。 「体は大きいのに愛嬌があって」 元ニュージーランド(NZ)代表オールブラックスの大男は、かけなら360円の「英ちゃんうどん」とも恋に落ちた。 帰国後も、サニックスの短期コーチで来日するたびに通った。 本誌の渾身の調査によるとこのごろは「肉うどんに海老天を3本追加でのせる」らしい。 店に飾られた油まみれのジャージィ。 宗像サニックスの「もうひとつのクラブハウス」を訪ねた。 鶏や豚の串焼きで鳴る酒場、カウンター席のみ、おそろしくうまく不思議なほど良心価格ゆえ、店名を明かしたら満席確実、選手たちが路頭に迷う。 ここでは「HJ」としておこう。 頑固だろう主人とその夫人は、都会のビッグなクラブとは異なるスモールでローカルなチームをラブしている。 有名大学出身の有名選手なし。 草の根クラブを経て入団の遠回り組が複数在籍、水道料金滞納者の蛇口をハリガネで縛る公務に従事していた者もいる。 潤沢でない布陣ながら走り負けせぬ体力を養い、独自の戦法を貫徹、しぶとく白星をたぐる。 そこがたまらない。 選手寄贈のジャパンの練習着やオールブラックスのジャージィが油まみれで飾られている。 ビニール袋でくるんだりケースに収めないのは無精ではなく、主人の心の奥の「照れ」ゆえだ。 店の角に積まれたビールケースのてっぺん、某選手の幼子が眠っている。 後ろに結んだ尾っぽの髪をたまに鉄板で焦がす主人は、引退した無名戦士のその後の奮闘を熱く語ってくれて、牛蒡の鶏皮巻きもいっそう美味だ。 もういっぺん記す。 サニックスは愛のチームである。 スーパーラグビーのハイランダーズを頂点へ導いた敏腕、ジェイミー・ジョセフのコーチングは、ここ宗像の歳月と無関係ではない。

次の