国友 一貫 斎。 日本最古の飛行機設計図を作った奇才国友一貫斎とは?いろいろな発明も

宇宙眺めた近江の奇才 国友一貫斎関連資料(もっと関西) :日本経済新聞

国友 一貫 斎

一貫斎による日本最古の飛行機の設計図 なぜ一貫斎は空を飛びたかったのか…。 そこには、天体への憧れがありました。 一貫斎は、江戸の大名屋敷で目にした舶来の望遠鏡を元に、日本で最初の「反射望遠鏡」を造りました。 太陽の黒点や月のクレーター、木星の縞模様、土星の環も観測しています。 一貫斎の望遠鏡は、西洋の望遠鏡をしのぐ高性能でした。 天保7年。 一貫斎が58歳になったこの年、全国的に天候不順で「天保の大飢饉」が起こり、国友村の村人たちも餓死寸前にまで追い込まれます。 一貫斎は晩年、天体観測に明け暮れていましたが、それを断念し、愛用していた望遠鏡を各地の大名に売り、村人を救いました。 苦労して造った望遠鏡でしたが、村人たちの役に立ったことを喜びました。 「天、遂に人の努力を無にせず」と叫び、神仏に感謝したと伝わっています。

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宇宙眺めた近江の奇才 国友一貫斎関連資料(もっと関西) :日本経済新聞

国友 一貫 斎

ずば抜けた才能だったがために、継承者がいなかった」。 一貫斎の望遠鏡を復元した「国友一貫斎科学技術研究会」の広瀬一実会長は、悔しそうに語る。 一貫斎はオランダからの輸入品を参考に日本初の空気銃を作り、独自に改良して連発銃も開発。 油を自動的に補充する灯明「ねずみ短檠(たんけい)」や鋼製弩弓(どきゅう)(クロスボウ)、懐中筆(現代の筆ペン)などを次々と考案した。 「製作には至っていないが、飛行機の図面も引いた。 江戸の発明家として著名な平賀源内より功績は大きい」と太田浩司・長浜市学芸専門監は力説する。 受け入れるだけの科学的、産業的な素地が日本でまだ育っていなかったのだろうか。 埋もれていた彼の業績を顕彰しようと昨年秋、地元で再評価委員会が結成された。 長浜商工会議所副会頭の堀川隆幸・長浜キヤノン社長が委員長となり、藤井勇治市長らも参加。 広瀬さんもメンバーの一人だ。 これまでに演劇などのイベントを2回催し、3月には講演会を開く。 専門家らと連携し、関連資料の調査研究にも取り組む方針だ。 「伊能忠敬のように、その功績が広く知られるようになってほしい」。 広瀬さんらの思いは強い。 文 大阪・文化担当 竹内義治 写真 大岡敦.

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国友一貫斎の鳥型飛行機、詳細図発見

国友 一貫 斎

大空を夢見て試行錯誤か 江戸時代に科学者としても活躍した国友村(長浜市国友町)出身の鉄砲鍛冶、国友一貫斎(1778〜1840年)が描いた飛行機設計図「大鳥秘術」の詳細図が見つかった。 「国友一貫斎家資料」を調査していた市が詳細図を確認したことを発表した。 一貫斎が考案した飛行機は中に人が乗り込み、人力で翼を動かす構造。 一貫斎は江戸を訪れた際に西洋から持ち込まれた書物や道具にふれ、日本初の反射望遠鏡などを制作している。 「阿鼻機流」はラテン語で小鳥を意味する「アヴィクラ」が語源と推測され、西洋の影響がうかがわれる。 市は昨年度から2年計画で「国友一貫斎家文書」(市指定文化財)684点の再調査を実施しており、その過程で新たな資料197点を発見し、詳細図が確認された。 詳細図は縦24・3㌢、横16・8㌢の冊子。 翼や機体の構造、材料について10ページにわたって記録している。 ヒノキ材で作った機体をなめし皮で包むなどの作り方を解説しており、一貫斎が実際に鳥型飛行機を制作しようと考えていたことがうかがえる。 国立科学博物館産業技術史資料情報センター長の鈴木一義氏は「この図面にある飛行機が実際に飛べたかは疑問だが、そうした試行錯誤は科学技術の発展に欠かせない。 西洋では空飛ぶ機械の始まりとして、レオナル・ド・ダビンチが羽ばたきコウモリ型飛行機の図を残しているが、一貫斎の鳥型飛行機も同様の視点で描かれており、航空史上、非常に貴重な資料といえる」とコメントしている。

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