大阪子供置き去り事件 その後。 誰も知らない、実話のその後、長男は何処へ行ったのか?

田野岡大和の現在!北海道置き去り事件の真相と家族のその後とは

大阪子供置き去り事件 その後

加害者の下村早苗氏の周囲も含めた多角的な視点で書かれています。 「虐待死させる親は死刑にしろ!地獄に落ちろ!」等の短絡的な意見は論外だと私は思いますが、それでも残念な事にそのようなコメントがしばしば見られます。 地獄を見続けたから、虐待死となってしまったと言う事なのではないでしょうか。 では誰がこの家族を地獄から救うべきだったのでしょうか。 行政の課長は言います。 「SOSを出さない親には関わりようがないのです」 社会を、行政を憎み、あるいは恐れ、世間と壁を作り、本当は苦痛で脂汗が出ているのに、差し伸べられた手を睨み返さざるを得ない人たちに対して、誰が寄り添って助ける事ができるでしょうか。 このようなアングラ化した人たちの方が、本当に手を差し伸べければならない人たちなのではないでしょうか。 このような人たちが、死刑になって地獄に落ちれば、社会は本当に良くなるでしょうか。 ましてや現在の日本は20年以上も新自由主義(=自己責任社会)やデフレーション(=貧富の差が拡大しながら多くの人が貧しくなる現象)が続いているのですから、こうしたアングラ化する人々が増えているのは想像に難くありません。 ここで更に死刑とまではいかなくとも、仮に厳罰化する事が問題の対策になるとはとても思えないです。 一審判決までが長い。 彼女は、一審判決を不服としたわけでは無いと書かれていますが、全編において彼女の「逃げる生き方」を改善しようと手を合わせてきた大人はたくさんいた。 筆者は足りて無いと思ったようだが 彼女の話を聞き手を貸した人もいた。 しかし嘘がバレると逃げるのです。 追いかけて、諭しても逃げるわけですから。 逃げを繰り返し事件を起こし 育った環境が「逃げる生き方」を形成したかのごとく書いたのち判決を受ける部分が、とにかく長いし同じ内容も繰り返し出てくる。 そして後半に数ページでサクッと 他人と手紙のやり取りで養子縁組して急に自己肯定感が増して控訴する?何があったのでしょう? 結局あっさり棄却される、という内容しか書かれず。 なんだこりゃ?です。 あと、文章的に痛ましい事件ではあるが、残忍では無いというような書き手の意思が感じられる。 夜な夜な子供の悲痛な泣き声、部屋の状態、 子供達の様子がさらりと書かれているからです。 描写が少なく内容も薄い。 それよりも犯人がどう育ったか?が描かれている。 そのように育たなければ彼女は事件を起こさなかったかのごとく。 読めば彼女に同情心が湧く人もいるでしょう。 私は、 繰り返し暴力を振るうのと同じに 無責任放置というものは凶悪の残忍性があると思う。 彼女の言動は、明らかに押し付けられた子供が邪魔だった。 いなくなれ、と思ってた。 弱い人ではなく、図太い人です。 どこかの丸写しでもないし、書いてあることを信じるとさまざまな当事者(家族、各施設担当者、本人)に取材している。 この事件にここまで迫ったルポはないので、興味深かった。 義父母が共働きで、実父母もいずれも頼れそうになかったわけで、この本人もできないのは冷静に考えればわかっているのになんで子育てをお金も渡さずに押しつけたかな。 制裁のつもりなら、幼児も本人の所有物としてどうなってもかまわないし、子供でも孫でもないとみなしたも同然。 こういう家庭はもしかしたらここだけじゃないかもしれない。 離婚のときはすべて弁護士が介入して、子供は食事・寝床・(他者としても)愛情のこもった最低限の保証は国が介入して取り組んだ方がいいと思う(妊娠した場合もどの親族がいらない子供だとしても、国家の子供として育てるのがいいと思う 犯罪者に対するヒステリックな論調が目立つ現代だけに、こういう取材は非常に貴重。 だからけなすつもりは全くないのだけれど、石井光太氏の『「鬼畜」の家: わが子を殺す親たち 』 新潮文庫 をと比較すると杉山氏の本は突っ込みの甘さが目立ってしまいました。 どちらの著者も、虐待加害者自身も何らかの虐待に遭ってきた、あるいはそのような環境からとても逃れられないような生い立ちだった、という点で共通しています。 石井氏の取材の方が説得力がある、とだけ申しておきましょう。 それはそれとして、読後、我々はいったいどうすればいいのか、という無力感にとらわれました。 「産んではいけない親」というのが存在していることはわかったけれど、誰がそういう判定を下すのか、全国の子どもをどのやってそんな親から守れるのか。 児童相談所のスタッフを拡充する以外思いつかない自分がここにいます。 この事件発覚時、ベランダからレスキュー隊が部屋に入っていく様子をテレビで見ていました。 あの、ファーストフード店やコンビニ弁当の残骸とおぼしきゴミの山の映像が衝撃的で忘れられません。 ベランダに、ゴミが詰まったビニール袋が本当にうず高く積み上がっていて、それらを踏み潰して、レスキュー隊が窓を割って中に入っていきました。 放送された映像はここまでです。 これだけでも、物凄い衝撃映像でした。 食事時に見るのは無理なほど。 悪臭の通報だったと記憶しています。 中には幼児2人の遺体が、ゴミの山の中にあったと報道されました。 絶句しました。 あのゴミの山が室内にもあり、そこに幼児2人の遺体。 室内のゴミの山は、ベランダの比ではないと思います。 暑い季節だったと思います。 室内でゴミの山ということは、害虫もいることでしょう。 その室内に幼児2人を1ヶ月も置き去りにしていたと、発見された遺体は腐りきり、すでに干からびていたとの報道もありました。 母親は23歳のシングルマザー、キャバクラ店員。 何とも言えないため息が出ました。 色んな事件の報道を日々見るけれど、時間がたってもいつまでもあのベランダの映像が強烈で、いつまでも忘れられない事件です。 なぜ? なぜこんなことができる? なぜ1ヶ月も放置を? ドアにガムテープで目張りしていたこと、壁に幼児たちの小さな手形がついていたこと、その手形は汚れた手でつけられたものだと続報を聞き、ますますなぜ?が膨らみました。 幼児たちの父親は?祖父母は? 泣き声に周囲は異変を感じなかったのか? なぜ?の答えが欲しくて、この母親の心理やバックグラウンドが知りたくて、ルポである本書を読みましたが、がっかりな内容でした。 ルポなのに、中身が薄いです。 取材が足りないのか、筆者の筆力が足りないのか、内容の根幹がブレています。 同じ事件を題材にした、山田詠美氏の小説 「つみびと」のほうが良かったです。 読み応えのある内容でした。 でもメンタル的にしんどかったー。 ニュースで見た事件の報道を聞いての感想は、最低!なんて酷い親だ!でしたが、彼女の生育歴を丁寧に辿っていくと、そこに至るまでに色んなものが彼女を歪ませて事件に至らせたことがわかりました。 とはいえ、周囲の環境が飛び抜けて劣悪…とまではいえず、彼女自身がかなり「扱いにくい人」であったことも事実で、そのことが悪循環を生んでおり、本人も周囲も報われないなあ、と思いました。 他者からの支援や援助をうまく受け止めること。 困ったときに他者に自分から困っていることを発信できること。 どん底にいてもこの2つがあればどうにかなる、1人で変に抱え込んだらほんとにアカンなぁ、と思いました。 読みました。 とても悲しい気持ちになりました。 周囲から誰にも助けてもらえなかった母親に対してです。 同著者の「真奈ちゃんは~」も読んだのですが、こちらの方がとても印象深かったです むこうは事件の概要と背景。 こちらは加害者である母親目線として重点をおいてかかれていると思います 個人的主観になりますが、まず、いくらなんでもこの母親に対する懲役30年は重すぎる。 母親の解離性の病理をきちんと理解してもらえてるのだろうか 事件が事件だけに、事件概要だけで決め付けられてる気がしますし その手の病理に犯されていない一般的な平凡な母親なら怒り心頭ものですが。 周りがもっと手を差し伸べてあげてほしかった モデルや夜の飲食で食っていけるくらいなら、それなりにルックスも良かったのでしょう。 男女問わず人は寄ってくると思いますが、もっと人にすがって頼ってよかったのでは。 と思いました。 余談ですが、途中で出てくる他人の風俗での収入稼ぎの例は意味不明でした それまで読み進めていった流れがぶち壊れでした.

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5歳児を衰弱死させた父親の絶望的な「孤立」

大阪子供置き去り事件 その後

Contents• なぜ巣鴨子供置き去り事件が起きたのか?真相まとめ 巣鴨子供置き去り事件は1988年に起きた母親の育児放棄におり起きた悲惨な事件です。 まずは巣鴨子供置き去り事件というと 父親が蒸発し母親も4人の子供を放置して自宅を出ていったことにより白骨化した次男の遺体が見つかったことから始まっています。 そして長男の証言によれば母親がいなくなったあとは長男が兄弟の面倒を見ていたようですがジャンクフードばかりを食べていたことから栄養失調に子供が栄養失調になってしまっていたようです。 長男は、いなくなった母親の代わりに食事を作ったり、おむつを取り替えたりしていた。 また、毎日のようにコンビニを訪れては菓子パンやおにぎり、アイスクリームなどを買っていた。 コンビニの店長は「夜中の2、3時に来たり、学校のある昼間の時間帯にもしばしば見かけたりするので、変だなあと思っていた」と話していた。 引用元() そしてこの巣鴨子供置き去り事件の当事者として ・長男(1973年生まれ) ・次男(1984年生まれ) ・長女(1981年生まれ) ・次女(1985年生まれ) ・三女(1986年生まれ) そしてこの中で次男と三女がこの巣鴨子供置き去り事件にて亡くなっています。 なぜこの悲惨な事件は起こったのか? 概要をまとめていますので是非ご覧ください。 長女が生まれて以降の子供は出生届が出されていない 母親は複数の男性と関係を持っていましたが誰とも長続きしていません。 おそらく子供の父親もそれぞれ違うのではないでしょうか? そして母親は1987年に出会った男性と同棲するために子供をマンションに残して出ていったわけですが、長男と長女が生まれてい以降の子供は出生届が出されておらず自宅で出産しているそうです。 このことからも子供に対してまったく愛情がないことが分かります。 母親は長男に家を任せて生活費数万円を送っていた 1987年に母親が恋人と同棲するために家を出ていったのですが子供の面倒を長男に任せていたそうです。 そして 母親は生活費として数万円を送金し時々様子を見に行っていたようです。 千葉県浦安市の冷凍食品販売業の愛人(56歳)ができ、愛人のところに入り浸るようになった。 長男の話では62年秋頃から「仕事で大阪に出張する」と言ってマンションを出たままだというが、 母親はときどき2・3万円ずつ送金してきたようで、たまに姿をみせていたこともある。 その後、63年の正月に一度戻っているが、子どもが邪魔になってマンションに置き去りにし、千葉県内の愛人のマンションに同居していた。 長男には千葉県の住所を教えていた。 引用元() 2~3万円で子供にすべて丸投げして愛人のところに行くという母親の神経が理解できません。 当時自宅は長男の友達の溜まり場だった? 当時、自宅は長男の友達が訪れていたようです。 そして三女は当時2歳だったのですが泣き止まないため友達が怒り押し入れの上から三女の上に飛び降りたりして暴行を加え三女が死亡しています。 「三女が死亡する致命傷は、長男でなく友人が押し入れから何回も落としたことによる」と長男の弁護士は述べている。 三女が死亡したあと、長男は母親が次男が死んだときにやったことを真似た。 ビニール袋に死体を入れ消臭剤を入れて押し入れにしまいこんだ。 しかし消臭剤の量が足りなかったのか、たちまち臭くなり家には置いてはおけない、ということになった。 引用元() このことからも長男は三女の死に関わっていることが分かります。 不審に思った大家が通報したことで発覚した 上記でも説明しましたが長男の友達が訪れていたことから大家が不良の溜まり場になっていると通報し巣鴨署がマンションを調べたところ長男、長女、次女、そして白骨化した次男の遺体が見つかったそうです。 「親は帰ってこないし、不良のたまり場になっている」という大家の連絡で、巣鴨署員がドアを開けると長女と次女がいた。 大家がバナナとおにぎりを差し出すと、むさぼるように食べた。 長男は「夜の商売の人の子どもで預かっている。 母は大阪に仕事にでかけている」と説明した。 引用元() そして三女の遺体は秩父市内の林に埋められていたそうです。 長男は昼間もブラブラしていたそうですが不審に思った人が「どこの小学校?」と聞いたところ「立教小学校」と答えていたようです。 このことから巣鴨子供置き去り事件が発覚し長男に事情を聞くと「母親は出ていった」と答えネグレスト(育児放棄)であることが判明。 相談相手が誰もいなかった? 母親がいなくなったことからこの事件が起きたわけですが、子供もこの状況を誰かに相談できれば巣鴨子供置き去り事件という世間が騒然とするような事件にまで発展はしなかったのかもしれません。 もちろん母親も父親が蒸発し両親に結婚を反対されていたそうなので、この状況から踏まえても母親も相談相手がいなかったというのは間違いないでしょう。 巣鴨子供置き去り事件の母親はどんな人物? 上記でも説明した通り巣鴨子供置き去り事件の発端は母親のネグレスト(育児放棄)が原因で起こった悲惨な事件であることが分かります。 このことからも母親はク〇であることが分かります。 この母親はどんな人物なのか? 巣鴨子供置き去り事件の母親は神奈川県川崎市の私立高校を卒業しています。 そして将来は歌手になることを夢見ていたという情報もありCDをリリースしていたとも言われています。 ただ歌手としては鳴かず飛ばずで知っている人はほとんどいないです。 仕事はデパートの派遣店員をしていたようでここで出会った男性と結婚することとなります。 ただこの結婚には猛反対されていたようですが、反対を押し切り結婚したのです。 巣鴨子供置き去り事件の子供が5人だが母親は6人出産している 巣鴨子供置き去り事件での当事者となった子供は5人ですが、実際のところ母親は子供を6人出産しているそうです。 そのうちの1人はすぐに養子に出されていて事件に関係がないことからこの子供の存在が明らかになっていません。 そして 巣鴨子供置き去り事件の当事者となった子供5人は全員父親が異なります。 母親が愛人を数々作って妊娠して自宅で産んだということで子供の父親が全員異なるわけです。 巣鴨子供置き去り事件の母親は父親が蒸発後、嘘をつき続けている 母親は父親が蒸発後、嘘を塗り重ねて生きていくようになったそうです。 周囲の人間に「私は慶応大学を出ている」「三越の外商部で働いている」「亡くなった夫は外交官」「息子は立教中学校」などなど。 これはもちろんすべて嘘であり、息子は名門中学どころか学校にすらも通うことが出来ていません。 何故なら出生届がされていませんからね。 巣鴨子供置き去り事件の判決で母親に有罪判決が下る 1988年8月に母親は保護責任者遺棄致死罪で逮捕され懲役3年執行猶予4年の有罪判決が下っています。 これだけ世間を騒がせた事件の割には軽いように見えますが、おそらく父親が蒸発したという状況が加味されたと考えられます。 長男は傷害致死・死体遺棄の容疑で養護施設へ 長男は三女の死と死体遺棄に関わっていたことにより傷害致死ならびに死体遺棄で東京家庭裁判所に送致され、その後養護施設に送られています。 東京地検は、この長男を傷害致死、死体遺棄罪で東京家裁に送致。 同地検は「母親さえいれば起こりえなかった事件であり、長男には教育的措置が必要」として少年院ではなく、教護院へ送ることが相当との、異例の処遇意見を付けた。 今回は長男が戸籍もなく、全く学校教育を受けていないなど特殊な事情があり、児童福祉施設の教護院で教育を受けさせる方が良いと判断したという。 引用元() ちなみにマンションで発見されたときは長女と次女は衰弱していたために福祉施設に預けられています。 そして 長男の友人2人は三女の死に関わっているので児童自立支援施設に送られています。 長男は母親のことを心配していた 驚くべきことは育児放棄して愛人のところに行った母親のことを長男は心配していたようです。 「なんで?」と思う人もいますが子供は親を選べませんからね。 どんな酷い目にあっても母親だったのでしょう。 巣鴨子供置き去り事件後、子供はどうなった? 判決が下り事件が一件落着となったところですがその後、母親、長女、次女、長男はどうなっているのでしょう? 長女と次女は母親が引き取ったそうですが、その後の状況に関しては不明となっています。 長男は学生生活を送るようになり生徒会長になったそうですが母親とは一度もあっていないそうです。 こんな悲惨な思いをした子供には大人になってから幸せな人生が歩めていることを願います。 巣鴨子供置き去り事件がモチーフになった映画が公開されている 巣鴨子供置き去り事件は今も語り継がれていて2004年にはこの事件をモチーフにした映画『誰も知らない』が公開されています。 この長男役を演じたのは柳楽優弥さん。 この映画にてカンヌ国際映画祭最優秀主演男優賞を獲得し話題になりました。 世間はこの映画を通して育児放棄について見直すいいきっかけになっているのではないでしょうか? この巣鴨子供置き去り事件は母親の無責任が招いた悲惨な事件なので今後はこのようなことが起きないことを願います。

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巣鴨子供置き去り事件の衝撃的内容とその後の現在について調査!

大阪子供置き去り事件 その後

この記事の目次• 巣鴨子供置き去り事件の概要 「巣鴨子供置き去り事件」は、1988年(昭和63年)7月18日に発覚した、 保護責任者遺棄事件です。 事件現場となった東京都豊島区西巣鴨のマンションには当初、家主である母親と長男、長女、次男、次女、3女の5人の子供の6人が住んでいました。 しかし、1987年の秋頃、 母親は愛人と同棲するために長男に妹達(後述しますが、次男はこの時点で既に死亡)の世話を任せて家を出てしまいます。 その後、長男は母親から時折送られてくるわずかなお金を使って妹達の面倒を見ていましたが、部屋が子供達の溜まり場になっている様子を不審に思ったマンションの 大家が通報。 これによって警察が介入し、母親が蒸発している事が発覚しました。 さらに、押入れの中からビニール袋に包まれ、 白骨化した嬰児の遺体が発見された事で大騒動になります。 その後、警察の調べで母親の所在が明らかになり、長男と次女と住んでいたはずの3女が行方不明になっている事も判明します。 警察が長男から事情を聞いたところ、 長男と友人らによって3女が殺害されていた事も明らかになります。 母親はその後、保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕されました。 長男は3女殺害に関与していた事から、東京家庭裁判所に送致されていますが、親に置き去りにされていた状況が考慮され、次女と共に養護施設へと送られています。 この「巣鴨子供置き去り事件」は、当時社会問題化していた 「家族崩壊」を象徴する事件として大きく報じられました。 巣鴨子供置き去り事件の現場となったマンションとは 事件の経緯を詳細に説明する前に、イメージしやすくするために事件現場となったマンションについて説明します。 母親が兄妹らを置き去りにしたマンションは、東京都豊島区西巣鴨に所在する鉄筋コンクリートの4階建で、 1階には24時間営業のコンビニエンスストア(ミニストップ)が入っていました。 JR山手線の大塚駅から10分弱の場所にあり、家賃は月9万円ほどでした。 部屋は 2部屋以上はあり、畳敷きでした。 兄妹らが置き去りにされた部屋には、洗濯機や炊飯器、テレビなどの 家電製品は一通り揃っており、保護された時には、兄妹らがそれらを使用して生活していた形跡もありました。 部屋のカーテンは締め切られ、衣服が散乱していましたが、洗濯機には洗いかけの衣類、台所には調理した味噌汁、炊飯器内には炊いたご飯、冷蔵庫には若干の野菜が入っていたそうです。 長男が中心となって、かろうじて生活が営まれていた状況が見て取れました。 母親が愛人と暮らすため子供を置いて家を出る 1987年秋頃、母親が 当時14歳の長男に 当時7歳、3歳、2歳の3人の妹達の世話を任せて家を出ます。 母親が家を出たのは交際していた当時56歳の男性と千葉県浦安市で同棲するためでしたが、 長男には「大阪に出張する」と嘘をついていました。 その後、1988年の正月に母親は一度戻りますが、またすぐに子供達を置き去りにしたまま家を出てしまいます。 長男には、千葉県浦安市の住所を教えていたようです。 母親はその後、 時折様子を見に現れたものの、子供の面倒は全く見ていません。 お金についても時々2〜3万円程度を送金するだけでした。 1988年2月以降はマンションの家賃も滞納しており、 ガスと電気は止められていました。 長男が妹達の面倒を見ていた 母親蒸発後、長男は食事を作ったり、マンション1階にあった24時間営業のコンビニでカップ麺や弁当、菓子パン、おにぎり、アイスクリームなどを購入するなど妹達の面倒を見ていました。 また、まだ幼い妹達の オムツを取り換えるなどもしていたようです。 長男は毎日のようにマンション1階のコンビニで買い物していましたが、店員は、学校があるはずの 昼間や、深夜2時や3時にも店に来たりするので不審に思っていたと言います。 近所の住人もおかしいと思っていた人はいたようですが、そうした人々が長男に「学校はどこに行っているの?」と尋ねると、 長男は「立教中学に通っている」と答えていたようです。 これは、母親が長男に聞かれた時にそう答えるよう、言い聞かせていたためでした。 そのため、本来は中学に通っていなければならない長男は中学へは通っておらず、友人と言える人はいませんでした。 しかし、1987年11月頃、長男は近所の駄菓子屋で、 同じマンションに住む中学1年生の少年2人と知り合い、友人になります。 この2人は、学校へ行っていない長男にとって唯一の友人と呼べる存在でした。 この2人の友人にとって、大人の干渉を受ける事のない長男らの住むマンションは快適な場所であり、すぐに溜まり場になります。 彼らは 菓子や食べ物、飲み物などを持ち込み、連日入り浸るようになりました。 当時2歳の3女の口元に海苔がついていた事から、 3女が勝手に食べたと思った友人2人と長男は3女を殴り始めました。 暴行は一旦収まったものの、 3女がお漏らしをしている事が分かると友人は再び3女を殴ると言い出します。 長男は「勝手にやれば」と言って放置し、隣の部屋でテレビを見ていました。 それから、2人の友人らは罰ゲームだと言って、押入れの上段に3女を抱え上げ、そこから畳の上に突き落とす遊びを始めます。 この遊びは次第に、 頭から落としたり、落ちてくるところを腹めがけて蹴り上げたりするなど、エスカレートしていきます。 友人2人は、面白いからと言って隣室にいた長男も加わるように促し、長男も暴行に加わっています。 この時、長男がどのような気持ちだったかは不明ですが、当時の考察では「 長男にはこの2人しか友人がおらず、友人を失いたくなかったため、従うしかなかった」とされています。 翌日3女が死亡 何度も押入れから落とされる暴行を受けた3女は、次第にぐったりとして動かなくなります。 長男と友人らは焦り、救急車を呼ぶ事や母親に連絡する事なども考えたようですが、結局怖くなってそれはせず、見よう見まねの人工呼吸をしたり、湯たんぽや毛布で温めたりしています。 3女は 翌22日の朝8時頃に死亡したとされますが、これは後の少年の証言によるもので、正確な時刻ははっきりしません。 長男は、3女の顔に白い布を被せ、蝋燭を立てて 葬式の真似をしています。 この時、友人の少年らも手を合わせたとされています。 それから3女の遺体を消臭剤と共にビニール袋に入れ、押入れに入れます。 しかし、すぐに遺体が臭い始めたようです。 そのため、長男は4月26日に3女の遺体をボストンバック(リュックサックとの情報も)に入れ、友人と共に電車に乗り、秩父市大宮の公園に向かいます。 そして23時頃、 公園脇の雑木林の中に3女の遺体を捨てています。 長男はそれから時々、3女の遺体を捨てた場所に手を合わせに行っていたそうです。 巣鴨署の警察官が大家を伴って様子を見に行ったところ、 長女と次女がおり、ガリガリに痩せて腹を空かせている様子で、大家がおにぎりやバナナを差し出すと貪るように食べたそうです。 大家は母親と長男の2人暮らしだと思っており、それを聞いた警察官が長男に説明を求めると、「 夜の仕事の人の子供で預かっているだけ、母親は大阪に出張でいない」と答えました。 明らかに不審な状況に、翌18日改めて巣鴨署の署員と福祉事務所の相談員がマンションを訪れ、 子供らは一時福祉事務所に預けられる事になります。 警察が捜査を開始 警察が長男に詳しく事情を聞いたところ、やはり母親はおらず、時々2万~3万円のお金を送ってくる事、子供らがその金で食べ物を買って生活している事などが明らかになります。 事態を重く見た警察は、マンション賃貸契約書などから 母親の実家を調べ、少年らの祖母にあたる女性に事情を聞きます。 しかし、娘(少年らの母親)は 20年以上前に実家を出たきり音信不通であり、どこで何をしているのかもわからないという事が判明しただけでした。 犯罪が絡んでいる可能性もあると考えた警察は、7月22日にマンションを家宅捜索します。 押入れの中から、 ビニール袋に包まれ、白骨化した嬰児(次男)の遺体を発見します。 母親が保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕される マンションから連絡先が書かれたメモが発見され、これを元に警察が母親の所在を調べます。 翌23日に保護責任者遺棄致死の疑いで母親は逮捕されています。 (母親はニュースを見て怖くなり自ら出頭した説もあり) 母親は「 長男に幼い妹達の面倒を見させて悪かった」と供述したとされますが、涙などは一切見せていないと報じられています。 また、マンション押入れから見つかった嬰児の遺体について聞かれると、母親は「 帰ってきたら哺乳瓶を加えたまま死んでいた」と供述しています。 母親は殺したわけではなく、自然死である事を強調していますが、死亡してからかなりの時間が経っている事もあり、真相については不明です。 長男が傷害致死・死体遺棄の疑いで家裁送致 母親の供述から、マンションには保護された長男と長女、次女の他に3女がいたはずだと判明、3女が行方不明になっている事が発覚します。 これについて、警察が長男に事情を聞いたところ(福祉事務所職員立ち会いの下で柔らかく追求)、 3女が死亡し、その遺体を捨てた事を素直に明かしたようです。 長男が3女の暴行に加わった事も判明し、 傷害致死ならびに死体遺棄の疑いで家庭裁判所に送致されています。 8月10日、東京地検は長男の処遇について、過酷な状況に置かれていた事などを考慮し、少年院ではなく、 養護施設(教護院)へと送るのが妥当との決定を下しています。 また、犯行に加わった友人2人については、刑事責任を問えない年齢(当時中学1年生)だったため、巣鴨署によって 補導されるだけの処置が取られています。 母親に対しては有罪判決 保護責任者遺棄致死の罪に問われた母親の判決公判は10月26日に開廷され、「 懲役3年執行猶予4年」の有罪判決が下されています。 母親は、裁判官から 「無責任、身勝手極まりない」「3女の死の遠因といっても過言ではない」などと断罪されます。 ですが、「同棲相手と結婚してやり直すと誓っている事」などが考慮され、「今回に限り自力更生の機会を与える」として、執行猶予付きの判決が下されています。 神奈川県川崎市の生まれで、川崎市内の高校を卒業後に服飾関係の専門学校へと進学しています。 若い頃は歌手を目指しており、実際にレコードも出しているとの情報もあります。 専門学校卒業後の1968年(昭和43年)、派遣社員としてデパートに就職し、そこで出会った男性と同棲。 結婚したいと思ったものの、両親に猛反対され結婚できませんでした。 この男性との間に子供が生まれていますが、養子に出されています。 その後、母親はこの男性の20万円の借金を母親の両親に肩代わりさせた挙句、2人で蒸発。 1973年(昭和48年)頃、この男性との間に長男が生まれますが、母親は正式な結婚の上に生まれた子供ではないという理由で怖くなり、出生届を出しませんでした。 複数の男性と関係を持ち、次々と子供を出産 出産したものの、母親は親としての自覚を持つことはなかったようです。 最初の男性と別れた後に、別の男性と関係を持った母親は、1981年(昭和56年)頃に長女、1984年(昭和59年)9月に次男を出産。 この次男は前述の通り、生後すぐに死亡しています。 さらに、母親は1985年(昭和60年)頃に次女、1986年(昭和61年)頃に三女と、次々と違う男性と性的関係を持ち、子供を出産しています。 そして1987年(昭和62年)の秋頃に、長男に妹達の世話を任せ、子供達の中の誰の父親でもない、また別の男性と同棲するために家を出てしまうのです。 この 5人の子供達の父親は全て違う男性だと言われています。 長男は「父親は知らない」と言っており、長男以外の子供については病院にも行かず、 自宅で母親が1人だけで産んでいます。 つまり、この母親がそれぞれの子供の父親と一緒に子供を育てようとした形跡は無いようです。 子供達はただ動物的に産み落とされ、 生まれた後のケアはほとんどされないまま放置(ネグレクト)されました。 都内のマンションを転々とし窃盗や売春も 母親は、「巣鴨子供置き去り事件」が発生するマンションに越すまで、都内の賃貸住宅を転々とし、 窃盗や売春などで食いつないでおり、警察に捕まった事もあったようです。 また、住居を変える際には、死亡していた次男の遺体をビニール袋に入れたままスーツケースに入れて運んでいた事も判明しています。 1987年(昭和62年)頃までは、東京都豊島区南大塚の「大塚駅」周辺に住んでおり、その後事件発生現場となった西巣鴨のマンションへと越しています。 マンションの大家に対しては「 夫は数年前に死亡して長男と2人暮らし」「 長男は立教中学に通っていて、自分はデパートに勤めている」と嘘をついて信用させ、部屋を借りたそうです。 マンションの大家は、母親と長男が2人で住んでいると思っており、他に子供がいる事は事件発覚まで知らなかったという事です。 母親のその後について この母親は、当時のマスコミから盛んに「 鬼」などと報じられて批判されています。 事件後、母親は 愛人だった男性と結婚して夫婦となり、子供達を引き取ったとされていますが、その後、親の責任をしっかりと果たしたのかについては情報がないため不明です。 この母親は、親としての責任をことごとく放棄しています。 これは 他者に興味を持てなかったり、状況に応じて適切な判断ができなかったりといった、なんらかの知的障害の症状が関係していたのではないか?といった説が出ています。 知的障害者だから子供を育てられないというわけでは断じてありませんが、やはり周囲の理解と適切なサポートが必要になる場合が多くあります。 この母親の場合は周囲からの子育てにおける支援などは一切受けておらず、子育てに行き詰まってしまった可能性なども考えられます。 ただし、これはあくまでも知的障害だったのではないか?という説があるというだけで、真相については不明です。 巣鴨子供置き去り事件をモデルにした映画「誰も知らない」が話題に 2018年「万引き家族」でカンヌ国際映画祭の最高賞「パルム・ドール」を獲得した是枝裕和監督。 2004年公開の映画「誰も知らない」も是枝裕和監督の作品で、今回紹介した「巣鴨子供置き去り事件」をモチーフに製作された映画です。 「誰も知らない」では母親に置き去りにされる兄妹の長男役を俳優・柳楽優弥が演じています。 長男は必死に妹達の面倒を見る心優しい少年として描かれ、細部は演出されていますが、大筋は実際の「巣鴨子供置き去り事件」同様で、 育児放棄の問題を痛切に訴える内容となっています。 「巣鴨子供置き去り事件」に興味を持たれた方に、是非観て欲しい映画です。 巣鴨子供置き去り事件のその後〜現在 最後に、「巣鴨子供置き去り事件」のその後について分かっている範囲で紹介します。 母親は愛人と再婚し長女と次女を引き取る 前述の通り、兄妹達を置き去りにした母親は、 同棲していた愛人と結婚しています。 愛人は妻がいましたが、その妻と別れ、この母親と再婚する事になりました。 置き去りにされた 長女と次女は、事件後に母親と旦那となったその愛人に引き取られています。 しかし、一度は自分達を捨てた母親と、その原因となった愛人に育てられる事が果たして本当の幸せに繋がるのかどうかはわかりません。 その後、この母親と長女と次女がどういった生活を送ったのかは明らかになっていないため、現在については不明です。 長男のその後や現在については不明 長男は、事件後に 養護施設(教護院)へと送致されていますが、その後どういった生活を送り成長したのかは不明です。 長男は、事件が発覚した14歳になるまで学校へ通わせてもらっておらず、まともな教育を受けていません。 保護された当時は、 名字は漢字で書けたものの名前はひらがなでしか書けなかったそうです。 そのため、養護施設では改めて基礎的な教育から学び直したものと考えられます。 義務教育を受ける年齢であったため中学にも通っているはずで、改めて友人関係を作る機会もあったかも知れません。 一時期、 長男が大学に通っていたという噂が流れた事もありますが、こちらは真偽不明の噂でした。 2020年時点では 40代半ばになっているはずですが、幸せな生活を送られている事を願わずにはいられません。 まとめ 今回は、母親が14歳の長男に7歳から2歳までの幼い妹達の世話を任せて失踪した「巣鴨子供置き去り事件」についてまとめてみました。 母親にマンションに置き去りにされた長男は、母親からわずかに送られてくるお金を使い、料理を作ったりコンビニで食べ物を買ったりしながら妹達の面倒を見ていました。 その後、同じマンションに住む中学1年生の少年2人と知り合い、部屋は彼らの溜まり場となります。 些細な事で当時2歳の3女が少年や長男らから虐待を受け、結果3女は死亡してします。 それから数ヶ月後、家賃を滞納し母親の姿が見られず、マンションが少年らの溜まり場のようになっている事を不審に思った大家が警察に相談した事で、事件が発覚しました。 母親は保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕され、懲役3年執行猶予4年の有罪判決が下されました。 長男は三女死亡に関与した事で、傷害致死ならびに死体遺棄の疑いで家庭裁判所に送致されますが、あまりに過酷な状況が考慮され、養護施設へ送致されるという異例の措置が取られました。 「巣鴨子供置き去り事件」は社会問題となり注目を集めましたが、母親や兄妹らのその後については明らかにされておらず、現在の様子についても不明です。 あまりにも不幸な生い立ちの兄妹達には、その後はどうか幸せな人生を送っていて欲しいと願います。

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