死にたい死にたい。 青野くんに触りたいから死にたい(1) (アフタヌーンコミックス)

幸せなのに辛い、孤独、死にたい…対処法を精神保健福祉士が解説

死にたい死にたい

はじめまして。 しあおとといいます。 初めて投稿するのは「死にたい から 死のう に変わったとき」です。 これを投稿したら少しは気が変わるかもしれない、と思って。 まずはじめに自己紹介です。 あとは軽い摂食傾向あり。 思えば中学生の頃から頻繁に死にたいと思うことがあって、実際に三回自殺未遂をしています。 一回目は列車飛び込み、二回目は首吊り、三回目は列車飛び込み。 全部上手くいかなかった。 最後に自殺未遂をしたとき、「次こそはきちんと計画して、完璧に」と思ってから、早数年。 気づけば23歳の夏を迎えようとしています。 実は一年前にも綿密な計画を立てて実行する予定でした。 でもその時には、もう体がいうことを聞いてくれなくなっていて断念したのです。 ついこの前、死にたいと思いました。 未来が見えなくなってきたから。 ここらへんで、もういいかな、と。 はじめは「死にたい、でも、死ぬのが怖い」とカウンセラーさんに言いました。 何て返ってきたっけ。 忘れちゃったけど。 自宅に戻って、一年前のことを思い出したのです。 今だったら、まだ体が動く。 今なら死ねる。 私の中で、死にたい が 死のう に変わった瞬間でした。 計画はほぼ立ててあったので、あとは最期にどの洋服を着るか、とか、どの音楽を流すか、とか。 一番厄介、というか、やらないと心残りになりそうなのが遺書でした。 まず私は、書きたい人をリストアップしました。 そしたら多いこと、この上ない...。 ああ、私はこんなにもたくさんの人に支えられて、お世話になってきたんだなあ、と思いました。 現時点で26通書かなければなりません。 一日一通。 丁寧に。 便箋選びから。 遺書を書き終えたら私は死ぬのだろうと思います。 でも、多すぎて途中で飽きて、やーめたってなるかも。 死にたい が 死のう に変わったとき、気持ちがとても楽になりました。 心に余裕ができた感じ。 遺書を書き終えたら本当に死ぬのか分かりません。 死なないかもしれないし、それはそれでいいのでしょう。 未来は分からないものです。 この記事が採用されるかどうか、見てみたいものです。 【執筆者】 しあおと さん 【プロフィール】 日本南方に住んでいる心理系大学生。 23歳。 3つの精神疾患と発達障害もち。 Twitter : たん 2019年7月10日 しあおさん はじめまして。 何となく読んでいて私も似たような経験があって コメントさせていただきます。 思えば思いつめてというか 死ななくてはいけない と思っていたときも私にありました。 ここみたいな提示版で相談して後押ししてもらう形で通院を決意して と。 私もいつでも死ねるからもう少しだけ と思うというかそれで気がついたら10数年以上経っています。 (通院しながらですが) 未来が見えなくなってきたから。 とありますね。 先のことは私も不安ですがなんだかんだとあれから10数年生きてしまっています。 未来は分からないものです。 全くもってその通りだと思います。 私も発達系の傾向がありますが10数年前は(あったかもしれませんが)そんな診察などされたことなく転院してから診断されました。 ある意味10数年生きてきたからそういうのがある と知ったともいえますし医師とかにも相談できるともいえます。 あと余談ですが コメント欄の方へ そういう方もいます。 でもそうでない方もいますし しあおさん もかかれていない事情や思いもあると思いますよ。 (私個人で言えば死ぬ勇気がなかったのは認めますし相談したサイトで通院を勧められたことを渡りに船 と思った気もしなくてないですけど。

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「死にたい」と思っていた書店員の私が、人生に病んでいた頃の自分に読ませたい一冊

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北海道・東北• 東海・甲信越• 近畿・北陸• 中国・四国• 九州・沖縄• 「一人でも多くの人に教育虐待があること、ここまでつらいんだよということを知ってほしい」。 虐待はなぜ始まったのか。 端緒は息子が小3の夏。 中学受験のため塾に通い始めたことだった。 父親も中学受験の経験者。 「受かっても受からなくても、良い経験になる」。 親子とも、軽い気持ちでスタートした。 ただ、成績は思うように伸びなかった。 小4の夏。 勉強を教えていた母親に息子が反抗的な態度をとったとき、父親が初めて怒鳴りつけた。 「最初は我慢していたんですが、しきれなくなった」。 息子がものすごく驚いた顔をしたのを、父親は今でも覚えているという。 以来、父親がつきっきりで勉強をみるようになった。 はじめは夜9時まで。 時間は徐々に長くなり、最後は深夜12時ごろまで続くようになった。 父親の暴力や暴言も始まった。 「勉強をやれ」「早く覚えろ」「やらないと殺すぞ」。 包丁を突きつけ、問題を間違えると頭をたたいたり、水をかけたりした。 息子は「どうすればいいか、頭が真っ白になった」。 自律神経をおかしくして、腹痛が始まった。 目にはくまができ、学校では先生や友だちにも心配された。 父親が帰宅してドアを開ける音、赤ペンでシュッとバツをつける音、あごをしゃくって怒る癖。 全てが怖くなった。 それでも父親は「受験勉強ってこんなものだ」と思っていた。 24時間監視するような毎日が1年以上続いた、ある朝。 息子が登校時間になっても、ソファで横たわったまま動かない。 父親が声をかけると、力なく首を振った。 小学生とは思えない、人生に疲れた老人のような表情だった。 「これはおかしい」。 父親は初めて異変に気づいた。 息子は当時をこう振り返る。 「もう無理だと思って、気力の糸がぷつんと切れた。 世界から色が消えたみたいな白黒の世界が広がった」。 父親は暴力や暴言を一切やめたが、息子はその日から学校に行けなくなった。 ずっと家にこもり、ソファで寝て過ごし、嫌な現実から逃げるために、好きでもないゲームに没頭した。 しばらくすると、突然、息子は怒りを抑えられなくなった。 スポーツが得意で、天真らんまん。 穏やかだった性格が一変した。 何かにとりつかれたように、壁を殴り、物を壊した。 一度キレると手がつけられなくなり、父親そっくりの怒り方で母親に当たった。 「そういうことでしかストレスを発散できなかった」。 ただ、怒った後は自己嫌悪に陥り、自分の心も傷ついた。 「肺にゴムが詰まったような気分で、苦しかった」 「死にたい」。 息子は生きることを拒否する発言を繰り返すようになった。 食事をとらず、風呂にも入らない。 背骨やあばら骨が浮かび上がるほどやせ細った。 競争社会とはこういうもの 父親はなぜ虐待するようになったのか。 「教育はスパルタが一番いいと….

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幸せなのに辛い、孤独、死にたい…対処法を精神保健福祉士が解説

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目覚めたら病院のベッドの上だった。 もう二度と、あの絶望感は味わいたくない 何度か自殺企画をしましたが、未然に防いでくれた人がいたことがありました。 なぜ自殺企画で終わったのかというと、「遺書」のようなものを書いたり、突然家からいなくなったりしたからだと思います。 家からいなくなるというのは、恐らく客観的に不自然な形で、ということです。 そういった行為をするとき、私は誰かに止めて欲しかったのかどうか、わかりません。 だけど、重篤な状態に陥ったときは、ほとんどの記憶がありません。 普段から首をもたげている希死念慮が強くなり、衝動的に「死にたい」「死ななければならない」と行動に移しているような気がするのです。 私は今現在こうして生きていますが、目覚めたときの絶望感は二度と味わいたくないと考えています。 重篤な状態で発見され、病院に搬送、気がついたら真っ白な天井が目の前にある。 「私はまだ生きているんだ」「私はまた死ねなかったんだ」と、絶望するのです。 死んだら救われるような、そんな気がするのです。 「死なないんだから大丈夫」とは真逆に……。 死に方については随分調べました。 自殺未遂をした人ほど完遂率が高くなるといわれているのが、私にはわかる気がするのです。 だってもう、あの絶望感を味わいたくないから。 知人の自死。 末期癌の宣告。 私の身近にある死 昨年、知人が自死を選びました。 突然のことでした。 彼とは頻繁に連絡を取っていたわけではないけれど、ある程度気心が知れている気になっていました。 だけど、何の前触れもなく、彼はこの世からいなくなりました。 私は酷く泣きました。 昨日まで近くにいた人が、とても遠くに行ってしまったから。 そして、語弊を恐れずに言えば「彼が羨ましい」と、同時に思いました。 私は完遂できなかったけど、彼は完遂した。 自分の矛盾した感情が憎く、今でも恨めしく思います。 ほかの知人に、末期癌を宣告された女性がいます。 高校当時に唯一仲良くしてくれた人。 彼女はもともと病気がちで、学校にあまり来られなかったけれど、いつもひとりだった私に話しかけてくれました。 卒業後も交流は続き、私が自殺未遂で入院しているときは心配そうにしてくれました。 だけどあるとき、「癌になった」と連絡がありました。 若年性で進行が早く、見つかったときには末期でした。 抗癌剤治療を受けながらも笑顔を見せる彼女は強いんだろうな、と思いました。 そして、「何で私じゃなくて彼女なんだろう」と思いました。 私は何度か自殺未遂をしました。 自殺企画もしました。 今でも希死念慮・自殺念慮は消えません。 だけど、自殺した知人も、末期癌の知人も、「死んでほしくないし、死んでほしくなかった」です。 自殺未遂を経験しているのに、いまだに自殺念慮があるのに、知人に「死んでほしくない」と思い泣くのは、私のエゴだと思います。 私が今生きているたったひとつの理由。 きっと、エゴだって生きる理由になり得る 私は「死にたい」と思っています。 「死んで楽になりたい」と。 だけど私は今生きています。 だから、「死にたい」と思っている人に対して、軽々しく「死んだらだめ」と言えません。 だから、私が今生きている理由について話したいと思います。 私が「死にたい」と呟いたとき、主人はこう言いました。 「お前と心中するために一緒にいるわけじゃない。 一緒に生きたいんだ」と。 「物事には順序があるから、自殺する前に別れてくれ」。 あるとき強い絶望感に襲われ、その順序を守ろうとしました。 理由を言わず一方的に別れを突きつけて、そのまま死ねば良いと考えていたのです。 私は順序を守れば良いのだと思っていたのですが、自殺企画を感づいた彼から返ってきたのは意外な言葉でした。 「俺は単純にお前と一緒にいたいんだ。 これは理屈とかじゃなくって、俺の完全なエゴだよ。 順序とか言ったけれど、1日1秒でも一緒に生きられるなら、あの言葉は取り消すから。 少しでも長く、一緒に生きていきたいんだ」。 私は彼がなぜ私と一緒に生きたいのか理解できなかったし、彼の涙もわかりませんでした。 だけど、気づいたら私も泣いていました。 私の涙も、わかりませんでした。 知人に対して「死んでほしくない」と思うのは、私のエゴでしょう。 主人が言った通り、理屈ではありません。 自殺する人が視野狭窄に陥っているのは、客観的に理解できます。 ニュースで流れてくる自殺者の周囲にも、「死んでほしくない」というエゴが本当はあったんじゃないかな、と思います。 私が今生きているのは、彼のエゴのためです。 はっきり言って、それ以外は思いつきません。 だけど実は、私が気付いていないだけで、ほかにもエゴがあるのかもしれません。 「死にたい」と思ったとき、誰の顔も浮かばなくても良いと思うんです。 「死にたい」あなたは視野狭窄に陥っていて、思い浮かべられないだけかもしれないから。 もしも死を少しでも躊躇っているのなら、そこに誰かのエゴがあるのかもしれないと、それだけは頭に入れてみていただければ、と思います。 生きることは苦しいです。 なぜ生きなければいけないのか、その理由は私にはわかりません。 だけど多分、「一緒に生きたい」「死んでほしくない」といったエゴはたくさん存在するんだろうなぁと思います。 エゴそのものに気づいていなくっても、エゴがあることがわかっていれば、それで良いのではないかな、と思います。 私は主人のエゴのために生きています。 エゴが生きる理由なんです。 これを読んでいるあなたもそうだと思います。 生きることは苦しいし、生きなければいけない理由はわからないけれど、少しだけ目を閉じて、休んでみても良いかもしれません。 何もかも放棄したって良い。 いつでも「死ねる」し、「楽になれる」んだから、ちょっとここでお茶を飲んでひと休みしてみても良いのではないかな、と思います。 これが、「死にたい」と思ってこの記事を読んでくれたあなたへの、私のエゴです。 衝撃の告白を続ける 記事、 記事を読む。 記事、 記事、 記事をもっと読む。

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