望月いそこ。 山尾志桜里、望月衣塑子を生んだ学芸大附属高 “神童少女”は大人になっても戦い続ける

望月衣塑子さん講演会実行委員会

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東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者(45)は今なお官房長官会見に出席し、舌鋒鋭く菅義偉官房長官への追及を続けている。 事件記者として鳴らした望月記者。 自伝本『新聞記者』が原案の映画まで作られ、講演会も引く手あまた。 もはや新聞記者の枠に収まらない活躍である。 身内とは実弟の龍平氏の話。 彼は現在、会員制サロンを開き、いかにも怪しい方法で金を集めている。 龍平氏はもともと「劇団四季」で俳優として活躍し、独立して「蒼龍舎」を設立。 プロデューサー、脚本家として活動しているが、そちらの成果はどうもイマイチ。 むしろ、ツイッターで、〈東日本大震災は人工地震〉とか、〈原爆は落とされたんじゃなく 打ち上げたのです それを爆発させたのは日本ですよ 本当の悪は誰でしょ〉と胡乱な呟きをして炎上する人物として、ネット界で名が通っている。 会員を「公開処刑」 目下、サロンの会員数は無料、有料あわせて5千人程度と思われるが、 「龍平氏のサロンは、有名なオンライン詐欺と手口が同じなんです」 と、経済評論家の上念司氏が指摘する。 その手口は、 「日本では換金するのが難しいイラクの通貨ディナールを、ほぼ確実に値上がりするかのように言って販売しています。 インドネシアルピアやベトナムドンでも同じことをやっている。 特定の外国の通貨の騰貴を、期日を決めて具体的に予測する。 これを、サロンで会員から会費をとってやる場合は、投資顧問登録が必要。 投資顧問業違反や詐欺にあたる可能性があります」 イラクディナール詐欺は逮捕者も出ている案件。 警察HPにも注意喚起が掲載されている。 続いて、親族が会員の女性が語る。 「この緊急事態宣言の中、4月から6月にかけて大阪や北海道、京都などで5回も合宿を行っています。 それを恐れて、声を上げる人がいないんです」 このような実弟について、望月衣塑子記者は、 「弟とはほとんど連絡をとっていません。 ツイッターの炎上は人から聞いて知っていますが、オンラインサロンについての詳しいことは分からないので、コメントは控えさせてください」 実弟も、鋭く追及していただきたいものだ。

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東京新聞「望月衣塑子」記者の弟が “詐欺まがい” オンラインサロン会員から悲鳴(デイリー新潮)

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出自 [ ] ・の、の流れを汲み、(為通)の子・(則広)、あるいは則広の孫・に始まるとさる。 滋野氏を出自とする武士団(滋野党 の中でも、、と並び、滋野三家と呼ばれる。 「望月」の姓の起こり [ ] 平安時代初期、7年()に、それまでに行っていた信濃国の貢馬の「」の儀式を、満月(望月)の日に改めた。 この日に駒牽された貢馬を「望月の駒」と呼び、への貢馬の数が最も多かったのが、信濃御牧の牧監とも伝えられる滋野氏であり、信濃十六牧の筆頭「望月の駒」を継承した一族にて 望月の姓が与えられた。 滋野氏分家 [ ] 海野信濃守幸恒の長男の次男の は分家して小県郡祢津()の庄を継承して(根津小次郎直家)を起こし、三男の は佐久郡望月邑(望月ノ牧)を継承し望月氏(望月三郎重俊)を起している。 特に、、 望月氏を滋野三家といい、三家は緊密で、出陣の次第によると海野氏が戦うときは海野幡中、左根津、右望月と称し、 望月氏が戦うときは、望月幡中、左海野、右根津となり、祢津氏が戦うときは、根津幡中、左海野、右望月と、三家一丸となって外敵に当たったという。 この頃の家紋は海野氏が 洲浜や 月輪七九曜、 結び雁金、 六連銭( 六文銭)を用い、望月氏は 丸に七曜、 九曜紋( 九曜星)、 下り藤を用い、祢津氏は 丸に月、 九曜、 六連銭、 丸に違い鷹の羽を用いた。 概要 [ ] 鎌倉時代 [ ] 望月氏の全盛期は、4年()の挙兵に従軍した・父子の時代と考えられ、国親は後に源義仲の従臣として侍大将の一人として仕える。 当時の望月氏は佐久郡から隣接する小県郡にも勢力を伸ばしていたとされる。 義仲がの方を迎撃した元年()9月のでは、木曾衆と上州衆(甲斐衆とあるが、甲斐衆は頼朝・北条時政方として黄瀬川に参陣しているため誤記と思われる)と共に佐久衆が中核となったとする記録があり、この佐久衆の中心が古来より日本一の牧とも言われる「望月の牧」で育んだ強力な騎馬軍団を擁する 望月氏であったと想定されている。 また、義仲の四天王といわれたも望月氏傍流である。 義仲の没落後はのとなり、重隆は弓初めの射手に選ばれるほどの弓の名手として知られた。 4年()、に従い、5年()の・父子の謀反を、幕命により追討している。 さらに元年()のに際しても和田軍と戦い、重隆の孫・は鎌倉若宮大路にての子・を討ち、信濃国和田を恩賞として賜っている。 幕府滅亡直後の3年()10月にはの国司清原氏から改めて所領を安堵されている。 室町時代 [ ] 滅亡後のでは、望月重信が諏訪氏や・と共にの遺児を擁して挙兵、足利側の信濃守護の攻撃を受け本拠地の(現:望月町)を失うが、間もなく同城を再建し勢力を維持した。 続く南北朝の争いでは一族の多くが南朝にくみして戦った。 応永7年()のでは、、平賀氏ら佐久郡の国衆とともに参戦し、守護方と戦った。 戦国時代 [ ] に入ると、隣国のや、の()などの度重なる侵攻により衰退し、のは武田氏に抵抗して敗れるが、12年()9月に庶流のは実弟のと共に、同じく滋野氏の流れをくむ(幸隆)の仲介による説得を得て武田氏に臣従し、望月氏を継いだ。 源三郎はの一字「信」を与えられ信雅と名乗った。 また、の娘(昌頼の兄妹)を武田信玄の弟のの嫁とし、信繁の子(、次いで)を信雅の養子とするなどして、名族望月氏は武田一門に組み込まれていった。 信雅引退(し印月斎一峰と称す)の後は養子のがを継ぎ、武田氏の「御親類衆」として60騎を率いて本陣旗本として活躍する。 しかし信永は3年()5月21日のにおいて討ち死する。 その後しばらくは信永の実兄・の管理下に置かれたが、後に印月斎(信雅)が望月氏当主に復帰する状態となる。 天正10年()の織田・徳川連合軍のにより武田氏は滅亡し、多くの武田家臣はにより処刑された。 望月氏の一族では印月斎(信雅)やらが難を免れ、甲斐国南部の河内領やからあたりに身を隠し移り住んだという。 現在でも子孫の多くがこの地域に住んでいるとされ、九曜紋の家紋を持つ全国の望月の姓の大半の方がこの地域出身か、祖先がこの地域の出身であるとする伝承がある。 印月斎は実子もなく、武田氏からの養子も既に死去していたため、跡目は望月昌頼が継ぐことになったが、一族の出身かは不明(同名の宗家の昌頼とは年代的に別の人物と思われる)。 昌頼はに攻められるも望月城に籠城し、攻めあぐねた北条氏と講和し傘下に入るが同年9月、徳川家康配下の(武田旧臣)に攻められ、一か月に及ぶ攻城戦の末に望月城は落城。 昌頼は十八歳で自刃し、望月氏嫡流は絶えたと言われている。 系譜 [ ] 甲賀望月氏(近江国) [ ] 望月の由来ともなった「望月の牧」を始めとする御牧は、古く奈良時代から産する馬を朝廷に送られており、これらの産駒は途中の近江国甲賀付近で休養や調教(飼養牧)を行っていた。 そこから望月氏と甲賀の地は古より関係があり、平安時代にはで武功があったとされる(の出自との説もあり。 なお、三郎は望月家嫡男に多い幼名であり、三男を意味しない)が朝命により赴任し、主となり十六か村を贈った。 これが甲賀望月の祖である。 恩賞としてその後、信濃の望月氏の支流が甲賀の地で独自に武士団へと発展し、戦国時代には、後にと呼ばれるの筆頭格に数えられ、の「」、甲賀の「望月」と称されるようになる。 が(現:甲南町)を築城するなどの記録が残されており、望月出雲守屋敷跡は現在となっている。 家紋 [ ] 甲賀流忍術屋敷の丸に紋瓦 が一般的といわれているが、望月城跡などには が残され使われている。 また甲賀流忍術屋敷には、 丸に九曜が残されている。 である滋野氏の家紋は「」であったとされ、 望月氏、、が分かれる際、望月氏が「」、海野氏が「」、根津氏が「九曜」が与えられたとされるが、海野氏が「」に、根津氏が「」改めたと同様に、 望月氏も望月という名称自体が満月を意味することから、中央の星(満月)を八星が囲む「九曜紋」や、六星が囲む「七曜紋」になったとされる。 佐久市の望月城跡には戦国時代以降の物と思われる「七曜紋」の入った石造龕が残っている。 ただそれより遥かに昔い平安時代に、信濃国から近江国に移り住んだとされる甲賀望月氏の家紋が、現存する甲賀流忍術屋敷から「丸に九曜紋」であることを知ることができ、一族が難を逃れた先の山梨県や静岡県に「九曜紋」や「丸に九曜」を家紋とする望月姓の者が多くいることから、織田軍もしくは徳川軍に敗れる以前は「九曜紋」や「丸に九曜」。 以降は望月の地にとどまった一族が「七曜紋」を利用したのではないかと考えられる。 脚注 [ ] [].

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望月氏

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名前:望月龍平 もちづき りゅうへい 生年月日:1978年10月15日ウ案れ 年齢:41歳 出身地:東京都 身長:172㎝ 望月龍平さんは高校在学中からクラシックバレエやタップダンス・ジャズダンスなどを学んでいました。 劇団四季に入団してすぐ「美女と野獣」で初舞台を踏み、「ユタと不思議な仲間たち」では主役・ユタを演じています。 現在はオンラインサロン「 真実と目醒め」を運営したり、日本の裏事情や世界状況などをツイートしています。 最近では、長崎の原爆に関してツイートし、炎上する事態になっています。 望月龍平さんが運営するオンラインサロン「真実と目醒め」は、独自の歴史認識を全面に押し出しており、かなり攻めた印象です。 主な代表作品• 1998年「美女と野獣」• 1999年「キャッツ」• 2002年「マンマ・ミーア」• 2007年「ウエストサイド物語」 2008年に退団するまでメインキャストとして劇団四季の舞台に立ち続けました。 退団後は、渡英し舞台の演出家・脚本家・プロデューサーとして活躍しています。 帰国後、NPO法人「OFF OFF BROADWAY JAPAN」を設立しています。 「twelve」や「鏡の法則」など演劇界の異端児と呼ばれる望月龍平さん。 業界に影響を与えるだけでなく、東京フィルムセンター映画・俳優専門学校の教育顧問として指導にも携わっています。 2013年12月には株式会社望月龍平シアターカンパニーを設立しています。 望月衣塑子さんは中日新聞の記者です。 現在は東京本社社会部に所属しています。 望月衣塑子さんは反安倍政権の立場と言われていますが、望月龍平さんは「 姉貴と歴史認識違う」と発言しています。 望月龍平さんも公式に望月衣塑子さんの弟であることをツイートしていました。 望月衣塑子さんは、日本歯科医師連盟の闇献金事件のスクープや森友学園の取材チームに参加するなど現役のジャーナリストとして活躍しています。 プライベートですと望月衣塑子さんは既婚者で、2人の子供を持つ母親でもあります。 現役で働き続けるのは大変ですが、旦那さんも全国紙の記者ということなので理解があってお互い協力し合っているのでしょう。

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