新 美 南吉 童話 賞。 新美南吉 おすすめランキング (913作品)

彼岸花

新 美 南吉 童話 賞

新美南吉童話紀行「声の力、地名の力」【2】• もう一度読み返したい! 名作童話の世界。 小社刊、宮川健郎編・名作童話シリーズ『新美南吉30選』に収録した、 <新美南吉童話紀行>を5回に分けて転載いたします。 編者は愛知県半田市に赴き、新美南吉の生誕地や作品の舞台を訪ねました。 作家ゆかりの地を知ることで、より深く作品を味わうことができるでしょう。 「紙の童話」と「口の童話」 南吉が投稿した「ごん狐」が掲載されたのは、「赤い鳥」1932年1月号だった。 「赤い鳥」は、夏目漱石門下の小説家だった鈴木三重吉が1918年7月に創刊した児童雑誌である。 日本の児童文学・児童文化の芸術的な水準を飛躍的に引き上げた雑誌だった。 南吉は、童謡や童話を熱心に投稿し、「ごん狐」がのる前年の1931年には、童話「正坊とクロ」や「張紅倫」が掲載されている。 上が「ごん狐」の書き出し。 南吉は、「ごん狐」を村のおじいさんの話を書き留めたものとして書いている。 ここから連想するのは、南吉の1941年のエッセイ「童話に於ける物語性の喪失」だ。 このエッセイで、南吉は、「何故口で語られる童話と紙に印刷される童話が全然別種なものとされねばならぬのか。 私には紙の童話も口の童話も同じジャンルだと思われる。 」と述べた。 「口の童話」というのは、いわゆる「口演童話」のこと。 「口演童話」は、子どものために物語を語り聞かせること。 「ストーリーテリング」の日本ふうの言い方だ。 「赤い鳥」への投稿から出発した新美南吉は、紙に印刷される童話の書き手にほかならなかったけれども、「ごん狐」においても、その「紙の童話」が「口の童話」でもあるような工夫をしている。 エッセイと同時期の「おじいさんのランプ」でも、まず、作中に、おじいさんが語り、子どもがそれを聞くという場、「語りの場」とでも呼ぶべきものをつくり、そこで語られた話として書いていく。 「紙の童話」なのに、「口の童話」のふりをしていくのだ。 つぎは、その「おじいさんのランプ」から。 1891年に、みずから「少年用文学」と名のって刊行された、巌谷小波の『こがね丸』を日本の近代的な児童文学のはじまりとするのが通俗的な説である。 1891年というのは明治24年だが、この時期の「少年」ということばは、「少女」と対になるものではなく、「青年」や「壮年」に対するもので、「少年」とは子どものこと、「少年用文学」とは「子どものための文学」のことだった。 これ以前、小説家時代の巌谷小波は、言文一致体を試みていたのに、『こがね丸』では、あえて文語調で書くことをえらぶことによって、かえって、それを音読する「声」を呼びこむことになった。 そればかりか、小波は、活字メディアではなく、「声」による「口演童話」の創始者にもなったのである。 「声」という観点から、日本の児童文学史を見直したい……かねてから、そんなふうに考えてきた。 そのことのスケッチのようなものは、すでに二、三書いている(宮川健郎「『声』のわかれ」2000年など)。 そこでも、南吉らの「声」を手放さない努力にふれたのだが、このことについては、すでに、中国近現代文学研究者の千野拓政が批判的な注釈をくわえてくれている(「声・語りの場・リズム」2001年)。 千野は、私の「『声』という言い方はあまりに文学的」といい、私が「声」ということばで考えていることのうち、近代文学がうしなったものという意味で重要なのは「語りの場」であるとする。 そして、その「語りの場」ついては、「『音声が媒介している』ことよりも、『語り手』と『聞き手』がいる構造、言い換えれば読者が『語り手』の存在を感じる構造に重点をおいて考えている。 」という。

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新美南吉 おすすめランキング (913作品)

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新美南吉童話紀行「声の力、地名の力」【2】• もう一度読み返したい! 名作童話の世界。 小社刊、宮川健郎編・名作童話シリーズ『新美南吉30選』に収録した、 <新美南吉童話紀行>を5回に分けて転載いたします。 編者は愛知県半田市に赴き、新美南吉の生誕地や作品の舞台を訪ねました。 作家ゆかりの地を知ることで、より深く作品を味わうことができるでしょう。 「紙の童話」と「口の童話」 南吉が投稿した「ごん狐」が掲載されたのは、「赤い鳥」1932年1月号だった。 「赤い鳥」は、夏目漱石門下の小説家だった鈴木三重吉が1918年7月に創刊した児童雑誌である。 日本の児童文学・児童文化の芸術的な水準を飛躍的に引き上げた雑誌だった。 南吉は、童謡や童話を熱心に投稿し、「ごん狐」がのる前年の1931年には、童話「正坊とクロ」や「張紅倫」が掲載されている。 上が「ごん狐」の書き出し。 南吉は、「ごん狐」を村のおじいさんの話を書き留めたものとして書いている。 ここから連想するのは、南吉の1941年のエッセイ「童話に於ける物語性の喪失」だ。 このエッセイで、南吉は、「何故口で語られる童話と紙に印刷される童話が全然別種なものとされねばならぬのか。 私には紙の童話も口の童話も同じジャンルだと思われる。 」と述べた。 「口の童話」というのは、いわゆる「口演童話」のこと。 「口演童話」は、子どものために物語を語り聞かせること。 「ストーリーテリング」の日本ふうの言い方だ。 「赤い鳥」への投稿から出発した新美南吉は、紙に印刷される童話の書き手にほかならなかったけれども、「ごん狐」においても、その「紙の童話」が「口の童話」でもあるような工夫をしている。 エッセイと同時期の「おじいさんのランプ」でも、まず、作中に、おじいさんが語り、子どもがそれを聞くという場、「語りの場」とでも呼ぶべきものをつくり、そこで語られた話として書いていく。 「紙の童話」なのに、「口の童話」のふりをしていくのだ。 つぎは、その「おじいさんのランプ」から。 1891年に、みずから「少年用文学」と名のって刊行された、巌谷小波の『こがね丸』を日本の近代的な児童文学のはじまりとするのが通俗的な説である。 1891年というのは明治24年だが、この時期の「少年」ということばは、「少女」と対になるものではなく、「青年」や「壮年」に対するもので、「少年」とは子どものこと、「少年用文学」とは「子どものための文学」のことだった。 これ以前、小説家時代の巌谷小波は、言文一致体を試みていたのに、『こがね丸』では、あえて文語調で書くことをえらぶことによって、かえって、それを音読する「声」を呼びこむことになった。 そればかりか、小波は、活字メディアではなく、「声」による「口演童話」の創始者にもなったのである。 「声」という観点から、日本の児童文学史を見直したい……かねてから、そんなふうに考えてきた。 そのことのスケッチのようなものは、すでに二、三書いている(宮川健郎「『声』のわかれ」2000年など)。 そこでも、南吉らの「声」を手放さない努力にふれたのだが、このことについては、すでに、中国近現代文学研究者の千野拓政が批判的な注釈をくわえてくれている(「声・語りの場・リズム」2001年)。 千野は、私の「『声』という言い方はあまりに文学的」といい、私が「声」ということばで考えていることのうち、近代文学がうしなったものという意味で重要なのは「語りの場」であるとする。 そして、その「語りの場」ついては、「『音声が媒介している』ことよりも、『語り手』と『聞き手』がいる構造、言い換えれば読者が『語り手』の存在を感じる構造に重点をおいて考えている。 」という。

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第29回 新美南吉童話賞

新 美 南吉 童話 賞

、の続きです。 文学と恋愛は切っても切れない関係にあります ・・・南吉は、常に恋をしていた。 全く失礼な話ですが、 :「南吉は29歳で亡くなっているのだからきっと男女のドロドロとした愛憎だの愛欲だの、そういったものを知らなかったからああいうったキレイな物語を書く事が出来たんだよね~」 などと私は勝手なことを思っていたのです。 しかし、古来より、恋や愛は、芸術の最も大きな創作のエネルギー源、泉です。 文学ってそもそも・・・「源氏物語」にせよ「竹取物語」にせよ、恋愛が大半のテーマでしょ (笑)、ですからその経験を南吉がしていない、などとということはあるはずもないのに・・・童話の作者だからという先入観、ですね。 :「早世して残念だけど、でももっと長生きしてお金持ちになってたりしたら、愛人かこったり、別荘で放蕩したり、金銭問題でドロ沼愛憎劇とかして世間のイメージとか、作風とか、全然違ってたよね~」 ・・・って、そんな穿った考え方してしまうのって、私だけかしら。 いやいや、ゴシップ大好きママさんのひとりごとでございます・・・。 こんな前フリはさておきですね、「南吉の恋 」が今日のテーマです。 初恋は18歳。 お相手は木本咸子さんという方で、南吉が「我がう゜ぃーなす」と呼んでいたそうですが、咸子さんが遠藤家へ嫁いだ事により、南吉は22歳の時に失恋 を経験します。 東京外国語学校卒業後、帰郷し小学校の代用教員になった南吉。 24歳の時に同僚教師の山田梅子さんとのロマン スが。 しかし、翌年には別れてしまいます。 そして26歳の時には、中山ちゑさんとの結婚 を考えるようになったが、翌年、ちゑの死去によりこの恋も成就しなかった・・・・。 そして自らも結核で29歳の時に亡くなってしまうのです・・・。 早くに母を亡くし、苦労して勉学して、世間にようやく名が知られるようになって、これから、という時に亡くなってしまったのです。 作品にする為のメモが残されていて、そのメモをてがかりにした第25回新美南吉童話賞の生誕100年記念「幻の童話」部門募集などもあるそうです。 25人のアーティストによる、南吉や彼の作品をテーマにしたイラストなど創作展でした。 そちらもなかなかよかったですね。 「春の電車」という南吉の詩の世界をイメージした絵が、名鉄河和線の「半田口駅」には広がっているそうです。 ちなみに、「ごん吉くん」っていうキャラクターがいるって、みなさんはご存じでしたかしら? ・・・私は知らなかったです。 色々と勉強になりました。 最高の恋をしないまま死んだりしたら、絶対、だめですよ~っ(笑) 今日も最後まであっつーいブログ読んで頂きありがとうございます ( ・・・今日は私、松岡修造に勝ったね・・・)。

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