いたいにゅ。 11歳少年を性的暴行し出産したナニー 現在5歳の子供は17歳になった少年と暮らす(米)(2019年10月21日)|BIGLOBEニュース

「京アニ」放火 犠牲者35人に 男性が新たに死亡

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プロフィール 勝海 麻衣(かつみ・まい) 1994年、東京都出身。 医師の家庭に育ち、幼稚園から高校まで東京の名門・ 四谷隻葉に通う。 小学2年生の時に見た銭湯絵で銭湯絵師を志す。 高校卒業後、武蔵野美術大学に入学。 在学中に空間演出デザインの勉強と平行してモデル活動開始。 2018年には卒業後は東京藝術大学大学院へ(現在1年生)。 2017年9月、銭湯絵師の第一人者・丸山清人氏に弟子入り。 銭湯絵の技術を身につけるべく修行中。 丸山 清人(まるやま・きよと) 1935年、東京都出身。 日本に現存する3人の銭湯絵師の中で最高齢。 繊細な画風が特色。 18歳の時に叔父に弟子入りし、背景画を学ぶ。 25歳で独立。 銭湯の背景画はもちろん、個人宅・店舗・病院・老人ホーム、個展開催、CMや映画、空港・区役所やホテル等の様々なイベント、大学の講演会、小学校の銭湯プロジェクトへの参加など、多岐にわたって活動中。 今までに描いた作品数は1万枚を超える。 その時に広い壁いっぱいに描かれた富士山の絵を見て、こんな大きくてダイナミックで自由な絵があるのかとすごく感動したんです。 また、見ず知らずの、たまたまその銭湯に居合わせたさまざまな世代、年齢の人たちと一緒に湯船に浸かって、同じ絵を見て癒やされる。 そんな空間って日本にしかない特殊な文化で、それを作り出している銭湯絵にすごく魅力を感じたんです。 それで、絵は小さい頃から好きでよく描いていたのですが、私も大きくなったら銭湯絵を描いてみたいと思った。 それが最初のきっかけです。 最初、銭湯絵は画家が描いてると思っていたのですが、中学生の時にテレビで銭湯絵師を見て、初めて職人さんが描いているということを知り、銭湯絵師という職業があるんだ! と驚きました。 これが将来の職業として銭湯絵師を意識した最初の体験だったと思います。 それまでは画家になりたいと思っていました。 そのテレビに出ていたのが、現在の師匠である丸山清人さんで、その姿を見て憧れていました。 インターネットで検索して丸山さんのホームページを発見して、しょっちゅう作品を拝見して素晴らしいと思っていました。 そんな何も知らない私が日本最高齢の銭湯絵師で銭湯絵界の第一人者である丸山さんにいきなり弟子にしてくださいというのはあまりにも図々しいし、職人さんに対して失礼です。 なので、まずは大きな絵を描くための基礎を学ぶべきだと思って、美術大学へ進学することにしたんです。 それで高校1年生の頃から美大受験のための予備校に入って、絵の勉強を始めました。 舞台の背景画を描くことを通じてペンキの扱い方やはしごに登って巨大な絵を描くことを体験しました。 高所恐怖症だったので、最初のうちは高いはしごの上で描くのが恐かったのですが、やっていくうちに克服しました(笑)。 そんな時に、知人から紹介していただいたある歴史研究家の方に銭湯絵師になりたいことを話すと、「勝海さんには丸山さんが合うんじゃないか」と言ってくださって。 それで去年の9月に丸山さんの個展に、これまで描いた作品を持ってうかがって、「丸山さんの描く様子をおそばで見させてください」とお願いしたんです。 なぜですか? 勝海もしそう言ったら、丸山さんは寛大な方なので許可してくださることはわかっていました。 それで弟子になったとしても、正式な弟子ではないと思ったので、言わなかったんです。 修行する過程でご本人の口から「君は僕の弟子だ」という言葉をいただけるのを待とうと。 知り合いの歴史研究家の方に「銭湯絵師になりたいという子がいるからぜひお願いしたい」と頼まれて。 で、会ってみたら礼儀正しくて熱心でね。 一番最初に「銭湯はこの先もどんどん減るし、銭湯絵の仕事も減っていくだろう。 それでも銭湯絵をやる気はあるの?」と意思を聞いたの。 そしたら、 「それでも本気でやりたいです」と答えた。 これで本気で銭湯絵師になりたいという気持ちが伝わってきて、「ああ、この子だったら大丈夫だな」と思ったから弟子に取ったわけ。 その時の気持は? 勝海職人の世界は敷居が高いというか、そもそも女が入っていい世界なのか不安でしたし、私みたいな小娘が入れてくださいと言って簡単に入れてもらえる世界ではないと思っていただけに、ものすごくうれしかったです。 銭湯絵師になりたいと言うと、周りの人から「銭湯絵師で生活していけるわけないだろう」と反対されたし、私自身、不安に思っていました。 大学を卒業する時、就職していくほとんどの同級生を見て、私も職人になりたいとか言ってないで、まっとうな、もっと安定的な道に行った方がいいのかなという迷いはありました。 特に兄弟がみんな安定した道に進んでいるので、私だけ自由にしてていいのかなとも思いました。 でも散々悩んだ結果、人生一度きりなので、本当にやりたいことをやろうと銭湯絵師の道を選んだんです。 もちろん、この仕事で食べていけるかという不安は今でもありますが、 全力で取り組んでいれば何とかなるんじゃないかなと思ってます。 弟子といっても最初はゲストのような感じで、丸山さんのそばでメモ帳をもって見ているだけでした。 とにかく最初は見て盗もうと思って。 そのうちちょっとずつやらせてもらえることが増えて、本当にちょっとしたことなんですがそれがすごくうれしかったですね。 今は森や空の一部を描かせてもらっています。 頻度は月によってまちまちで、1件もない月もあれば、5、6件ある月もあります。 銭湯絵を描く時は、銭湯の定休日に1日かけて描きます。 丸山なにしろ熱心で礼儀正しくてね。 最初は俺の後をくっついてさ、一所懸命メモを取ってた。 これだけ熱心だったら教えてやろうという気になるよね。 丸山さんに弟子入りする時は、銭湯絵の技術を学ぶことが一番の目的だったのですが、 技術はもちろんのこと、それ以上に人柄が素晴らしいんですよ。 ファンの方がたくさんいらっしゃるんですが、私も弟子ですが、丸山さんに魅了されたファンの一人です。 その尊敬できる人柄や銭湯絵に対する姿勢をそばで拝見して、この方のすべてを吸収しないと銭湯絵師になれないと思いました。 その魅力のすべてをそばで見られるのはとても幸せなことです。 それと、最近、友達に 「武士っぽくなったね」とよく言われるんです。 喋り方とかが変わったみたいで。 それであだ名が「武士」になりました(笑)。 しかし武士というあだ名のモデルもしている24 歳の女子って多分日本で勝海さんだけでしょうね(笑)。 丸山さんの人柄に関して、具体的にどのようなところがすごいと思うのですか? 勝海ひと言で言うと大らかということでしょうか。 誰にでも分け隔てなく接してくださるんです。 優しいという言葉では表現しきれません。 私が若い女だということで特別に何か言われたこともないですし、孫くらい年齢が離れていることも関係なく、銭湯絵師になりたいという気持ちを汲んで、一人の人間、表現者として接してくださっているんです。 こんな聖人みたいな人が現実にいるのかと驚きました。 それと、最高齢の銭湯絵師なのに謙虚で、常に向上心をもっていらっしゃる点もすごいと思います。 おそばにつかせていただいて、本当に光栄だと思ってます。 今となっては愚かな考えだったと思うんですが、早く怒られたいなと思ってたんですよ。 怒られないのは期待されてないのかなと思っていたので。 でもそうではなくて、丸山さんはもっと寛大な心で私のことを見守ってくださっているということが最近ようやくわかって。 それもすごくうれしいですよね。 でもはしごを登る時は気をつけてねと言われます。 一度、銭湯で描いている時に足場から湯船に落ちたことがあって。 お湯が張ってあったからよかったのですが、ずぶ濡れになっちゃって。 真冬だったんですが、そのまま帰りました。 寒かったです(笑)。 このペンキで汚れたTシャツとジャージという服装が「これから仕事をしに行くぞ!」って気合いが入るので好きなんですよね。 一番うれしかったのは同じ頃にイベントで私を紹介する時に、「この子は僕の弟子だから」と観客の前で言ってくださったことです。 弟子と認めていただけたんだと思うとものすごくうれしくて、帰り道に泣きました。 普通はこんなに早くないんだよ。 やっぱり絵描きとしての下地があるのが大きいね。 普通の人なら(今の勝海さんのレベルになるまで)4、5年はかかるけどね。 それだけやっぱり銭湯絵って難しいの。 普通の絵と銭湯絵とは全然違って、銭湯絵はより明るく描かなきゃいけない。 あと色と構図、グラデーションが難しい。 だからね、普通はそんなに急にはできないんだよ。 昔、私の助手を募集した時、多摩美の絵画科出身の絵描きが来たの。 絵じゃ食えないからって。 私より4つばかり年上でさ。 でもその人も一人前になるまで4年くらいかかったよ。 多摩美の絵画科を出ててもね。 そのくらい銭湯絵って難しいの。 空間の中で融合している絵がすごく好きなんだなと思います。 まだ職人としての実力がないのに、見た目のインパクトだけで注目されるようになって、メディアの取材依頼がものすごく増えたのですが、銭湯絵の歴史などを聞かれた時にうまく答えられないので、もっと勉強しなきゃと思います。 でも私が目指しているのはあくまでも絵師なので、メディアは慎重に選んでいます。 取材依頼をいただくのはありがたいのですが、私がチャラチャラしてはいけないと思ってます。 でも取り上げられた方が銭湯絵の可能性が広がるんだとしたら、頑なになってはいけないなと。 ここがすごく難しくて悩んでいます。 そのうちの1人から、「今度ファッションショーをやるからモデルとして出演してほしい」と言われて出演したのが最初のきっかけです。 大学2年生の時でした。 それ以降、ファッションショーやカタログ制作のモデルの依頼が増えたので、フリーランスのモデルとして活動を始めました。 知人からフリーで活動していると危険なこともあると言われたので、始めて2年くらい経ってからモデル事務所に所属しました。 私自身の芸術の糧になっていると感じます。 勝海コシノジュンコさんのショーだったんですが、すごく楽しかったです。 コシノさんは私が通っている東京藝大の教授でもあるので、その繋がりで出演できました。 いろんなことを教えていただいていて、何か一緒にプロジェクトをやろうと声を掛けてもらっているので、今後も楽しみです。 とはいえ、私の最終目標はあくまでも絵師で、それは所属しているモデル事務所にも最初に伝えています。 現在はデザイン科描画研究室の1年生で、生活に寄り添う絵画を研究しています。 勝海そうなんです。 大学院では机上の学びというよりも、実践がメインなので、自分の銭湯絵師としての活動を先生に報告して、ご教授いただいています。 学びそのものももちろんなのですが、大学院には幅広い考え方をもつ方がいらっしゃるので、彼らと話す機会が多いことが入学してよかったと思う点です。 例えば、「こんな場所を描けばいいんじゃない?」とか、「海外に行けばいいじゃん。 もっと英語勉強した方がいいよ」とか、自分では想像もしなかったことを言われたりするのですごくありがたいです。 そこからまた新しい未来への可能性が生まれるかもしれないので。 実は丸山さんからも海外で活躍するような銭湯絵師になってほしいと言われているんです。 モデルの仕事も自分でコントロールできるし、大学院も比較的授業が少なく、課題も自分のペースでこなせるので、それほど大変ではないですね。 モデルとしての活動も大学院での学びも、良質な芸術の肥やしになっています。 ただ、丸山さんには近年銭湯がどんどんなくなっていて、これからは銭湯絵師だけでは食べていけないから、別にもう1つ職を持って、両立しながらやるのがいいと言われています。 私のことを思ってそうおっしゃってくれているので、とてもありがたいです。 絵描きになりたいという気持ちは変わらないので、それに関連した別の何かができればと思っています。 例えば、大学院で一般的な技法の絵を描いているので、個展を開いたり画家としてやっていければと思ってます。 また、モデル活動も真摯に取り組んでいるので1つの可能性として、できる限り続けたいと考えています。 画風が全く違っていて、絵を見れば誰が描いたかすぐわかるんです。 みなさん、確固たる意思をもって描いてらっしゃると感じます。 自分も丸山さんの元で修行しているのですが、 いつかは師匠の元から巣立ち、自分ならではの富士山を描けるようにならなければならないと思っています。 そのためにはまずは自分も技術だけじゃなくて、人としての内面を磨いて、自分ならではの魅力を身につけなければ。 これも丸山さんの描き様、生き様を身近で見させていただいて、初めて実感させられたんです。 丸山さんの弟子として恥ずかしくないように、誇りをもってやっていこうと思っています。 24歳という年齢ながら、ハキハキとした受け答え、言葉に込められた強い意思など、まさに「武士」というあだ名がぴったりという感じだった勝海さん。 今はメディアに出るよりも修行に集中したいという状況の中、無理を言って取材にご協力いただきました。 葛藤や悩みを経た上で、将来の目標をしっかりと定め、三足のわらじを履きつつそのすべてに真摯に取り組む勝海さんの姿から、ビジネスパーソンの方も学べることは多いのではないでしょうか。

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小林よしのりの記事一覧

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大学在学中の昭和50年に『ああ 勉強一直線』を投稿。 翌年、「週刊少年ジャンプ」(集英社)にてデビュー作『東大一直線』を連載開始、大ヒットとなる。 デビュー当時は福岡で執筆活動を行なっていたが、『東大一直線』の続編『東大快進撃』の連載終了後しばらくして上京。 以降は東京都在住。 昭和61年、「月刊コロコロコミック」(小学館)にて連載された『おぼっちゃまくん』が大ヒット。 昭和64年にはアニメ化もされ、第34回小学館漫画賞を受賞した。 主人公が喋る「茶魔語」が子供たちの間で流行語となり社会現象となる。 今でも根強い人気がありグッズ等の販売がされている。 平成4年、「SPA! 」(扶桑社)にて、社会問題に斬り込む『ゴーマニズム宣言』を連載開始。 すぐさま日本の思想状況を一変する大ヒットとなる。 特に、同シリーズのスペシャル本として発表された『戦争論』『戦争論2』『戦争論3』(すべて幻冬舎)は言論界に衝撃を与え、大ベストセラーとなった。 現在も「SAPIO」(小学館)にて『ゴーマニズム宣言』を鋭意連載中。 また新たな試みとして、ニコニコ動画「小林よしのりチャンネル」にて、Webマガジン『小林よしのりライジング』を毎週火曜日に配信中。 同チャンネルでは、生放送や動画配信も行なっている。

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「京アニ」放火 犠牲者35人に 男性が新たに死亡

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「いくら若いお母さんでも、相手は小学生でしょう。 ありえないことですよ」 と近所の主婦はあきれる。 福岡県に住む小学6年の男児(12)と自宅で性行為をしたとして香川県警高松西署は1月22日午後9時24分、同県高松市に住む自称パート従業員・長尾里佳容疑者(22)を強制性交の疑いで逮捕した。 同意のあるなしにかかわらず、13歳未満の子どもを守る法律に抵触したのだった。 逮捕のきっかけは同日午前中にあった匿名の情報提供。 オンラインゲームで知り合ったと供述している。 およそ100人のプレーヤーが無人島に降り立って、最後の1人になるまで戦闘を繰り返していくバトルロイヤルゲームだ。 ゲームに詳しい事情通が説明する。 「いまチョー人気のゲームで出会い系の要素がある。 ゲームの中で援護などをするうち男女がカップルになっていくんです。 そうなったやつらは、ツイッターやフェイスブックの名前を教え合うなどして、実際に会ったり、肉体関係を持つ。 容疑者は数か月前には、男子中学生とカップルになっていたという。 自宅は高松市郊外の県営団地。 中学時代の同級生は、 「身長156センチぐらいの中肉中背で、色白で可愛いからモテる。 中学ではバスケット部に入っていましたが、決して明るくはないし、社交的でもない。 あまり外に出ず、家の中でゲームをやっている感じだったから友達は少なかったですよ」 と話す。 さらに、22歳の若さでシングルマザーだった。 「確か5歳の女の子と、3歳の男の子がいますよ。 上は18歳ぐらいで産んだ子どもで、相手は3歳年下の男子。 相手が若すぎて、結婚したくてもできなかった。 だから未婚でね。 でも、好きな相手の子どもだから堕ろさなかったんじゃないかな。 それで高校は中退したはずです」(同級生) 10代から、「ショタコン(少年性愛)」だったのか。 2児の母親ながら、子ども好きという感じはしないという。 「保育園の送り迎えは実家の両親に任せていた。 外へ連れ出して遊んであげる姿もほとんど見たことない。 うちでゲームをやっているか、男を漁っているか」(前出の同級生) 自宅は静まり返り幼児がいる気配はない。 実家を訪ねると、容疑者の父親とみられる男性がインターホン越しに、 「ホントにお騒がせして申し訳ありません。 孫はうちにはおりません。 ええ、児童相談所に行っています」 と、か細い声で言うだけ。 荒野行動の一部コミュニティーでは、逮捕へと導いた情報提供者について、嫉妬心にかられたプレーヤーか、容疑者の問題行動を見かねた良識あるプレーヤーではないかと憶測がかまびすしい。 大学卒業後、業界新聞社、編集プロダクションなどを経て、'94年からフリーライター。 事件・事故取材を中心にスポーツ、芸能、動物虐待などさまざまな分野で執筆している 外部サイト.

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