カルロス ユーロ。 カルロス・ユーロ(体操)の経歴やプロフィールを紹介!コーチや家族との絆の固さも|みやもんのまろUPブログ

競技結果|世界体操2019|テレビ朝日

カルロス ユーロ

体操の世界選手権第9日は12日、ドイツのシュツットガルトで種目別決勝前半が行われ、床運動は日本に練習拠点を置くカルロス・ユーロが15・300点でフィリピン勢初の金メダルに輝いた。 「めちゃうれしい。 むっちゃ良かったです」。 喜びを語る日本語はたどたどしく、それでいて真っすぐだ。 同居生活を送りながら指導する釘宮宗大コーチも「信じられない。 これ世界選手権ですよね」と言って瞳をぬらした。 マニラ出身の青年は前回大会で銅メダルを手にしたときから「次は金だ」と狙っていた。 この日の決勝。 冒頭の後方伸身宙返り1回ひねりには高さがあり、体の線も端正だった。 その後も鋭いひねりと余裕のある着地を次々と決め、15・300点で世界一に。 荒々しいガッツポーズには万感の思いがこもっていた。 フィリピンで釘宮コーチと出会ったことをきっかけに高校2年で来日。 以来3年間、コーチと二人三脚で練習に励んできた。 今大会で東京五輪の出場権を獲得すると、実家の両親は電話口で涙を流して喜んでくれた。 「まだ自信はないけど、ベストを尽くせるよう努力したい」と英語で語ったユーロ。 釘宮コーチによると、練習中の後方抱え込み3回宙返りを組み込むなど、6・5点のDスコア(演技価値点)はさらに上げられる余地があるという。 (宝田将志) PR.

次の

ひと交差点: 7.比体操選手の指導に情熱 男子代表コーチの釘宮宗大さん

カルロス ユーロ

この名前は、に従っています。 (父方の)は ナバーロ、(母方の)は フェイホです。 フアン・カルロス・ナバーロ Juan Carlos Navarro No. 11 ポジション 背番号 11 身長 192cm 6 ft 4 in 体重 91kg 201 lb 基本情報 本名 フアン・カルロス・ナバーロ・フェイホ 愛称 "La Bomba","Instant Grits", "Juanki" ラテン文字 Juan Carlos Navarro Juan Carlos Navarro Feijoo 誕生日 1980-06-13 (40歳) 国 出身地 ドラフト 40位 選手経歴 1997-2007 2007-2008 2008-現在 代表歴 キャップ 2000年-現在 目次• 下部組織時代 [ ] ()のカンテラでバスケットボールを始める。 程なくして地元近くの名門のユースチームに入団。 プロデビュー [ ] 1997年11月27日に17歳でのトップチームに昇格し、デビュー。 1998年にはでのジュニア欧州選手権で優勝。 1999年にで開催されたでは、決勝でを倒し優勝し、個人でも大会MVPと大会ベスト5を受賞。 でより2巡目全体40位で指名を受けるも、所属チーム と長期契約を既に結んでいた為契約に至らず。 2002-2003シーズンので優勝するとともにリーガACB王者にも輝き2冠達成。 2003-2004シーズン、2年連続となるリーガACB王者となった。 2005-2006シーズンにはで1stチームに選ばれた。 2005-2006シーズンにはリーガACBのレギュラーシーズンMVPを受賞。 2006-2007シーズンにはリーガACBでレギュラーシーズン得点王を受賞し、同シーズンので優勝。 2007年にはに入団。 オールルーキー2ndチームに選ばれる活躍をするも、わずか1年で退団。 2008年6月にと5年契約を結び復帰した。 スペイン代表 [ ] 20歳だった2000年8月18日に行われた前に行われた代表との壮行試合でデビュー。 同年9月15日から開催されたにも参加。 2001年、の大陸予選を兼ねたに出場。 2度のでチームに勝利を呼び込むとともに、擁するとの3位決定戦では27点と爆発し、銅メダル獲得に貢献。 2002年、ので開催されたに参加。 2003年、の大陸予選を兼ねたにおいて銀メダル獲得。 に出場。 決勝トーナメント初戦でと対戦。 この試合18点と奮闘するも敗れ、7位に終わる。 2005年、の大陸予選を兼ねたではは4位に終わるも、自身は大会ベスト5に選出される。 2006年、日本で開催されたでは見事優勝し、金メダルを獲得。 2007年、母国スペインで開催されたの大陸予選を兼ねたでは決勝戦でに1点差で敗れ銀メダルに終わり、この大会でのスペイン初の金メダルは逃した。 では銀メダル獲得。 敗れはしたものの決勝戦の戦では18点4アシストと奮闘した。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• NBA. com (英語)• ユーロリーグ (英語)• ACB. com (スペイン語) 先代: MVP 次代: -.

次の

【体操】カルロス・ユーロ選手とは?フィリピン国内の人気と反応

カルロス ユーロ

ユーロ選手を指導する釘宮コーチ=10月31日、首都圏マニラ市で写す 首都圏マニラ市のリサール・メモリアル・スポーツコンプレックスの敷地内に、体操競技用の体育館がある。 蒸し暑い館内では、日本人コーチがフィリピン代表の体操選手の指導に汗を流している。 今年10月から、フィリピン男子代表の常勤コーチに就任した、釘宮宗大さん 29 だ。 釘宮さんは「少しでも日本の技術を伝えたい」と話し、指導に熱がこもる。 「ほとんどの選手が、体操の全ての種目で基礎となる倒立をきちんとできていなかった」。 釘宮コーチは、就任当初に見た代表選手の印象をこう振り返った。 フィリピン体操界では基礎がおろそかにされてきた一方で、個々の選手の身体能力が高いためか、特定の種目で高難度の動きをこなす。 種目別ならば世界大会レベルでもメダルを狙えるという。 フィリピンは、これまでのオリンピック史上で、銀メダルを2個、銅メダルを7個獲得している。 しかし1996年のアトランタ五輪で、男子ボクシング・ライトフライ級で、銀メダルを獲得したのが最後となる。 体操ではメダルはおろか、入賞を果たした選手もいない。 「ジュニア 17歳以下)の選手を長期的に育てれば、2020年の東京五輪出場も目指せる」と釘宮コーチの夢は広がる。 当面、14年4月にカナダで開かれる環太平洋体操競技選手権に照準を合わせ、レベルの底上げに力を入れている。 2年に1度開催されるこの大会には、日本、米国、ロシアなど強豪国も参加する。 もし教え子が、メダルを獲得すれば、比体操史上初の快挙となる。 岩手県出身の釘宮コーチが体操に出会ったのは、中学生の時。 見学だけのつもりだったが、宙返りなどを教わるうちに、「重力に逆らって、頭が下になる感覚」がやみつきになった。 高校時代は東北大会で個人総合で優勝を果たした。 複数の大学から推薦入学の声もあったが「トップレベルで自分の力を試してみたい」と思い、体操の名門、順天堂大学に一般入試で進学した。 大学院生時代に参加した全日本社会人選手権大会で、跳馬で着地に失敗し、右膝に大けがを負い、現役引退を決意。 しかし、引退後も体操への思いは冷めず、「自分が学んだ理論を後輩に伝えられたら」と指導者としての道を選んだ。 12年に転機がやってきた。 日本体操協会からスリランカの代表コーチ就任を打診されたのだ。 「海外での指導経験は将来きっと役に立つ」と思い、引き受けた。 ところがスリランカに行ってみると、十分な設備もなく、ろくな指導もできない状態だった。 自身が病気にかかった時、保険の手続きが遅れ、衛生状態の悪い病院に入院させられたこともあったという。 フィリピンでは、首都圏パシッグ市にある比政府関係者用の寮に住んでいる。 運転手はいないため、毎日タクシーでマニラ市まで通勤している。 釘宮コーチは「スリランカに比べれば、フィリピンは設備も、ある程度そろっているし、選手も潜在力がある」と笑顔を見せる。 フィリピンの教育・スポーツ振興を支援している一般財団法人「ZippyAction」の代表、白井涼さん 33 によると、同財団の支援を受け、ジュニアのエース、カルロス・ユーロ選手 13 が体操研修で12年に訪日した際、日本の体操関係者から「(ユーロ選手は)きちんと指導し、練習を積めば、モノになる」とお墨付きをもらった。 そのユーロ選手は「釘宮コーチが来てから基礎練習が増えました」と話す。 釘宮コーチは就任後、柔軟性をつけるためのストレッチや、筋力を強化する体幹トレーニングを日々の練習に導入した。 体操選手が必要とする最低限の体をつくるためである。 10月末にシンガポールで開かれた非公式な大会に参加するため、選手たちと話していると、大会直前にもかかわらず、ユーロ選手も含め多くの選手の演技構成さえ決まっていないことが分かった。 釘宮コーチは急ぎ選手たちと相談し、即席の演技構成を作ったという。 「日本では考えられないこと。 これからは少しずつ比の体操協会の体質も変えていけたら」と話す。 ユーロ選手は2013年、ベルギーで行われた世界選手権の種目別「床運動」で、金メダルを獲得した白井健三選手の大ファン。 それまでは内村航平選手のファンだったが、日本史上最年少となる17歳で金メダルを獲得した白井選手と、床運動を得意とする自分を重ね、ファンになったという。 ユーロ選手は「まだ実力不足だが、いつか僕もワールドカップに出てメダルを取りたい」と、はにかみながら夢を語った。 (鈴木貫太郎) 2013.

次の