岡崎 聡子。 岡崎聡子の若い頃から現在!旦那や子供・薬での逮捕・近況も総まとめ

岡崎聡子の今現在の顔画像(写真)!近況や子供の若い頃が凄い?

岡崎 聡子

先頃掲載した下記記事に約100万のアクセスがあった。 田代まさしさん逮捕も驚いたが、岡崎聡子さんの薬物依存獄中手記はさらに深刻だ この記事は月刊『創』12月号に掲載した元体操五輪代表の岡崎聡子さんの獄中手記の前半を公開したものだが、反響が大きかったために改めて手記全文を公開することにした。 というのも、手記は前半で母親との確執など自分の薬物人生を振り返り、後半で何とかそこから脱出したいという思いを書いたものだ。 前半の薬物人生の話も壮絶なのだが、今回、彼女がそこから何とかして脱したい、これを転機にしたいと訴えた部分もあわせて読まないと、彼女の転落人生ばかりが多くの人に印象づけられてしまう気がしたからだ。 確かに逮捕歴14回と報道された(面会でそのことを話したら、本人も「それ本当なの?」と驚いていたが)彼女の薬物依存は深刻だが、そこから脱却しようという意思を彼女が一方で持っていることも理解すべきと思う。 なので以下、『創』に掲載した手記全文を引用するが、その前に、岡崎さんが約10年前、『創』2009年11月号に発表した手記からも一部を紹介しよう。 彼女が何を契機に薬物にはまっていったのかを書いた部分だ。 最初の薬物体験はアメリカだった 《私が最初に薬物を体験したのは、アメリカのロサンゼルスに、エアロビクスの勉強に行っていた時でした。 最初はアメリカにいる間だけ使っていました。 コカインもやるようになりました。 そのうち日本でも、つきあっていたのが六本木の水商売の人だったこともあり、入手もできました。 仕事が終わると一服、という感じで、アルコールと同じ感覚で使っていました。 食べ物もおいしいし、何しろ楽しい。 箸が転んでもおかしい年代に、それが10倍面白い。 気持ちがパッと明るくなるし、活力も出る。 もちろん性的な部分での快楽もありました。 ちょうどタバコやアルコールと同じで、薬物とは一度その効用を知ってしまうと、なかなか知らなかった頃には戻れないものだと思います。 よく薬物依存者はいろいろな症状が出てくると言われますが、私の場合は精神的依存はありますが、身体面では何の影響も現われませんでした。 恐らくその辺は個人差があるのではないでしょうか。 もちろん乱用の怖さはあると思います。 お金と同じで、使っているつもりが逆に支配される。 その結果、逮捕となれば一気に堕ちていく。 それが、今の日本の覚せい剤使用者のなれの果てかもしれません。 》 《私の薬物での逮捕は今回で5回め。 薬物を始めてから合計すると10年くらい、生きている時間の半分くらいを獄中で過ごしていることになります。 私がオリンピックにも出場した元体操選手であるため、逮捕のたびに報道され、家族には大きな迷惑をかけてきました。 家族は本当にやりきれない思いをしてきたと思います。 女子刑務所に入って一番つらいのは、残された子どもが施設に入れられて淋しい思いをしているとか、そういう話が多いことです。 何の罪もない子どもが一番の犠牲者かもしれません》 この時の「逮捕は5回目」と本人も書いているが、その後の10年間で、それはどんどん増えていった。 では以下、2019年4月28日に逮捕され、裁判を経た彼女の獄中手記全文だ。 前半を既に読んだ人は、途中から読んでもよいかもしれない。 ただ長くなるので前回、少しカットした部分も今回は含まれている。 夢を砕かれた母親は悲しい目でつぶやいた 赤いランドセルを背負い、道草が日課の私だった。 母の夢。 「バレリーナか、体操をやりたかったわ、戦後のこの国じゃ、夢のまた夢よ」 3歳からバレエを習い、9歳から体操を始めた。 母の夢が私の夢へと変わる。 毎日が楽しくてしかたない。 憧れの選手に近づくために、一歩一歩本気で進む。 そんな無邪気な一方、成長するにつれ、自分の存在が、常に正しく、努力家で、少し胸の張れる人間でいることを、自他共に求めてきたところもあった。 いつからだろうか、時々、心に堅い鎧をまとうようになった。 大きなケガが重なったころからだったのか? 天真爛漫とは裏腹に、必要なこと不必要なこと共に耳を塞ぐようになった。 小さな私だけの箱に引きこもり、頑張れない自分、弱い自分が受け入れられず、認められない。 心は常に孤独だった。 のちに、私は薬物使用で逮捕される。 菊屋橋留置所の面会室。 アクリル板の向こうの母の、指先のふるえが止まらない。 これを皮切りに、薬物使用を繰り返す私に、 「あなたのせいで、私は全てのものを失ったわ」 悲しい目で、度々つぶやく母。 私には返す言葉もない。 件の母も、父も、子供たちの父親も、前刑、公判中、受刑中にそれぞれ他界した。 今となれば、そんな母の愚痴さえも、懐しく思える。 でも、誰のせいでもない。 悪いのは、全て私なのだから、キツかった。 受刑生活を繰り返してきた私だが、薬物使用を良いことだと考えたことはない。 いつでもやめられる。 そのための懲役であると思っていた。 しかし、現実は違っていた。 自業自得と自嘲して、刑務所帰りのレッテルを他の誰でもない、自分自身が貼りつけて絶望……。 自分に嘘をつく、そんな自分がますます許せなくなる。 すべての悲しみを忘れさせてくれる薬。 楽になりたいと思い使う薬が神経をヘトヘトにすり減らすものになるなんて……。 許しといえば。 先日、ダライラマ法王14世の、ゆるしについて書かれたものを目にした。 このダライラマ法王の言葉にハッとした。 大切なはずの家族、多くの人、自分を傷つけながら。 行き着く所は、塀の中。 迎えてくれる両親ももういない。 前刑は初めての満期出所。 実質4年半ぶりの社会での生活は、穏やかで明るいものに違いない。 出所の嬉しさと、二度と戻りたくないと思うプレッシャーの中……(いったい何をやっているんだろうか)。 また薬物を使ってしまった。 だが……何一つとして楽しくない。 自己嫌悪に苛まれる。 年のせいからくる、体質や体力の問題からか? すっかり大人になった息子と娘。 初孫との嬉しい対面。 いくつかのよき出会い、再会が、私の何かを変えたのだろうか? 正直、今更笑われそうだが、薬を使用して、初めて心の底から、もうやりたくない、使いたくないと思った。 それなのに……。 平成最後の日、令和はじまりの日を再び勾留者として迎えた。 すっかり慣れてしまい、平気なはずの留置所の独居生活が、悲しくて、たまらなく淋しかった。 5月の長い休みが明け、『創』の篠田編集長、弁護士の先生方、前刑受刑中にも何度も面会、リハビリ関連の資料の差し入れをいただいたアパリの事務局長、精神保健福祉士の事務局次長ほか、私を見守り、支え続けてくださった方が面会にきてくれた。 アパリの事務局長とは、何度もお会いしているのに、面会室ばかりで、受刑中のお礼どころか、一度も社会でお会いしていない汗顔の至り。 そんな温かい心にふれ、還暦も間近な私の心が、ふわっとほどけていく。 やっと大切な何かに気づいた自分にとまどう私。 いや、違うな。 今までも、ずっと気づいていたのに、かたくなに気づかないフリをしてきただけだ。 なぜなんだろうか。 答えが簡単ではないことは、わかっている。 まだまだ不安なことばかり。 でも、ひとりじゃないんだ。 今後は薬物離脱の専門の方々の指導、仲間の絆のもと、素直に、人の思いと言葉に耳を傾けて、自分のからだと魂を大切にしてゆきたい。 感謝したい。 この苦悩と感謝の私の思いを、きっといつの日か、これからの私の行動を通して、ひとつひとつゆっくりでも、言葉や活動で形にできたらよいなと思っている。 私の存在そのものが、人生に迷い苦しむ誰かの一助になれて、心を少しでも明るくすることができたら幸せなことだと思う。 今回の裁判を人生の転機にしたい 今回の公判ではこれまでの自分の考えがまちがっていたことを、痛感した。 私は、薬物の事件を繰り返し、懲役に行くたびに、どんどん心を卑屈にして、涙を流す人間らしい感受性を失い、社会から孤立して過ごすことに、安住していた。 ほんの少しの勇気、ほんの少しの努力、ほんの少しの我慢、人を信じて、自分を信じるかけがえのない力…心の折れてしまった私にとっては、それらがとてつもなく巨大なものに思えて、生きることが怖くて、辛かった。 「これじゃいけない」と思っても、心を正しく保つことができなくなった。 人生には転機があると思った。 自分らしく正直に、正々堂々と心静かに健康的に明るく人と支え合い、豊かに生きたいと思い、強く願うことで、人生が確かに好転するんだな、そう感じることのできた公判だった。 心がふるえた。 この法廷を私は生涯決して忘れられないと思う。 「生きている半分の時間を獄中で過ごしてきた」 手記は以上だ。 10月4日に出された判決は懲役3年4カ月だ。 当初から控訴しない方針だったために刑は確定した。 本人はまだ東京拘置所にいるが、既に受刑者の処遇になっており、いずれ刑務所に移送される。 かつて1976年、モントリオール五輪に15歳で体操選手として出場、「和製コマネチ」と呼ばれて人気を博した彼女の人生はある意味で壮絶だ。 今回の裁判の過程で彼女は初めて治療機関のダルクと接触し、自分の薬物依存の本格的治療に取りくむことを決めた。 彼女自身、「生きている半分の時間を獄中で過ごしてきた」 と前の手記で書いていたが、間もなく還暦を迎えるにあたり今回が人生をやり直す最後のチャンスかもしれない。 彼女の事件の後も、田代まさしさんなど有名人の薬物事件は頻発している。 岡崎さんが今後、薬物依存とどう闘っていくのかというレポートも、機会を見て明らかにしていきたいと思う。 なお上記獄中手記とあわせて『創』12月号に掲載した、今回の岡崎聡子さんの裁判報告をヤフーニュース雑誌に公開した。 ぜひ読んでいただきたい。 元体操五輪・岡崎聡子さん、薬物依存脱却への挑戦 篠田博之.

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薬物で6度目の逮捕「岡崎聡子」の現在と生い立ち。入れ墨画像の真相

岡崎 聡子

こんにちは!Buzz Fixer編集部の吉井です。 元体操選手の岡崎聡子被告が、薬物使用の疑いで逮捕起訴されました。 岡崎被告は過去に複数回の逮捕歴があり、今回で14回目の逮捕という情報もあります。 岡崎被告はその後、起訴され、現在は勾留中。 FNNなどではこのように報じられており、ネットなどでも岡崎被告に対する落胆の声が多く聞かれます。 岡崎聡子 体操 が薬で再逮捕 【独自】体操 岡崎聡子元選手 逮捕・起訴 覚醒剤でまた — FNN. このとき、対応にあたった警察官が岡崎被告の挙動を不審に思い、尿検査を実施。 その結果、陽性反応が出て逮捕に至ったと言います。 冒頭にも記載したとおり、岡崎被告は、過去に複数回の逮捕歴があります。 初めて逮捕されたのが1995年4月。 このときは大麻所持の疑いで逮捕されました。 しかし、翌月には再度薬物所持で逮捕され、2000年、2005年、2009年、2013年に同様の罪で逮捕されています。 今回の逮捕で岡崎被告は14回目の逮捕という情報もあり、薬物依存の怖さを思い知らされます。 結婚して子供はいるの? 【速報】元体操選手の岡崎聡子さんが覚醒剤で逮捕(6年ぶり14回目) — 早瀬将吾 hayashou 度重なる逮捕歴を持つ岡崎被告ですが、プライベートではどのような私生活を送っているのでしょうか? ネットでは結婚歴や子供に関する話題が持ち上がっていますが、現在公表されている情報では、結婚歴を確認することはできません。 子供についても公式な情報はないため、いないものと思われます。 現在の近況と今の顔画像 岡崎被告は2013年2月に新宿で逮捕されています。 このとき、岡崎被告は不起訴になりましたが、その後の情報提供をもとに警察は捜査を継続。 そして、同年9月には自宅アパートの家宅捜索を受け、容疑が固まったとして逮捕に至りました。 この際に同時に逮捕されたのが、岡崎被告と同居していたとみられる男性です。 同居していた男性は、警察の調べによると暴力団関係者ということで、岡崎被告の暴力団との関係が取り沙汰されました。 2013年の逮捕以降、逮捕などの噂は聞きませんでしたが、およそ6年ぶりに再逮捕。 現在も暴力団等との黒い交際は続いているものと思われます。 ネットの反応 今回の報道を受けて、世論はどのように反応しているのでしょうか? ネットの掲示板などに書き込まれたユーザーの声の一部を紹介します。 やはり、一度薬物に手を染めてしまうと、なかなか抜け出せないんだな。 選挙まで、色んなスキャンダル出すでしょうね。 — J. K 211Creme またですか?逮捕して留置場と刑務所に行かせても実質意味がないということですね。 薬物事犯は被害者がいないのですから、刑罰より依存症の治療プログラムが必要だと思います。 — 森 02mgc.

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岡崎聡子の現在顔画像と近況がヤバい!若い頃のレオタード写真がエロい!

岡崎 聡子

経歴・人物 [ ] 在学中の1975年、の種目別競技で優勝を飾り 、翌1976年には同大会で総合優勝 、でも優勝した。 に選ばれの体操競技に15歳で出場を果たした。 モントリオールオリンピックでは団体8位、個人総合30位の成績であった。 同世代のにあやかり、「和製コマネチ」 の愛称で親しまれた。 高校卒業後の、岡崎は に進学したが、1979年、ケガで体操界を引退、すぐに中退してタレントに転向し 、の普及に貢献した。 その後、1981年、当時同棲していた元恋人から「婚約不履行」で1000万円の慰謝料を請求される。 このとき相手側から「中絶体験」、「大麻疑惑」を暴露され、騒動になる。 1984年にデザイナーの男性と最初の結婚をして雑誌で、「9カ月」を披露 、2児をもうけてタレント活動からは引退した。 度重なる違法薬物使用逮捕 [ ] 薬物を最初に使用したのは、アメリカ・に、エアロビクスの勉強に行っていた時と、2009年11月号の「月刊」で語っている。 4月29日に、関連での検問で、を運転中に受けたにて所持が発覚し、大麻取締法違反で夫と逮捕された。 検査によりの使用も判明し、同年5月10日に覚醒剤取締法違反で再逮捕された。 この時は懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の判決を受けた が、執行猶予期間中の1995年8月3日に覚醒剤所持でまたしても逮捕され 、改めて懲役1年6ヶ月の判決を受けて服役した。 その後も 、 、 にも覚醒剤所持で逮捕され、それぞれ実刑判決を受け服役している。 未明、の路上において覚醒剤使用容疑にて逮捕された。 この時は不起訴になったが、後に情報提供があり 、同年に自宅アパートの家宅捜索を受けて覚醒剤反応のあるストローが発見されたため、同居中の暴力団関係者の男と共に覚醒剤所持容疑で逮捕された。 薬物所持容疑で7度目の逮捕とされる が、一部報道によれば、岡崎にはこれら逮捕歴の他に6回の逮捕歴(それぞれ証拠不十分で釈放)があり、2013年9月の逮捕は通算で13回目であるともいう。 公判では無罪を主張して争ったが、2014年9月5日に懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けた。 4月下旬、「物をなくした」と内の交番を訪れた際、様子がおかしかったため尿検査したところ覚醒剤反応があり、覚醒剤取締法違反(使用)容疑で逮捕され、同年5月に同罪で起訴された。 薬物事件での逮捕はこれで通算14回目となる。 2019年10月4日に懲役3年4ヶ月の実刑判決を受けた。 主な成績 [ ]• 総合優勝1回(1976年)• 優勝1回(1975年)、優勝2回(1976年、1978年)、優勝2回(1976年、1977年)、優勝1回(1977年)• - 優勝2回(1976年、1977年) 著書など [ ]• 「サトコの青春ウルトラC」 - (、1983年1月)• 「-水中ヌード- トロピカルぽえむ Milky Noon 岡崎聡子」(LEO PACK VIDEO)• 「」 2009年11月号『役立たぬ女子刑務所の薬物教育』(獄中から寄稿した手記 )() 脚注 [ ] []• 2018年7月1日. 2018年9月29日時点のよりアーカイブ。 2019年6月20日閲覧。 日本体操協会 2019年6月16日. 2019年6月19日時点のよりアーカイブ。 2019年6月20日閲覧。 日本体操協会 2019年6月16日. 2019年6月19日時点のよりアーカイブ。 2019年6月20日閲覧。 高校生としては初めての優勝だった。 その後、1999年にが中学生で優勝している。 朝刊: p. 2005年10月8日• : p. 1995年5月19日• iRONNA(産経デジタル). 2018年9月18日時点の [ ]よりアーカイブ。 2018年9月29日閲覧。 東京朝刊: p. 1995年7月15日• 東京夕刊: p. 1995年10月16日• 2009年2月16日• MSN産経ニュース 2013年2月18日. 2013年6月9日時点のよりアーカイブ。 2018年9月29日閲覧。 MSN産経ニュース 2013年9月13日. 2014年9月24日時点のよりアーカイブ。 2018年9月29日閲覧。 日刊ナックルズ. 2013年10月24日時点のよりアーカイブ。 2018年9月29日閲覧。 東京朝刊: p. 2014年9月6日• 讀賣新聞オンライン. 2019年6月19日. 2019年6月19日閲覧。 SmartFLASH 2019. 19 2019. 20access 関連項目 [ ]•

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