命ある限り生き抜いた先に。 楽な死に方について

WANIMA GONG 歌詞

命ある限り生き抜いた先に

被爆者の高齢化が進む中で、被爆の実相を懸命に継ぐ取り組みが続けられている。 爆心地から最も近い国民学校に通っていた下平作江さん(84)=長崎市油木町在住=と、その甥・本田魂さん(75)=長崎県時津町在住=。 「核兵器がなくなるその日まで」と奮闘する2人の今を追った。 (九州支局・高田正好) = 国内外から訪れる若い世代を中心に、被爆体験を伝え続ける下平さん。 30歳代後半から語り部を始めて半世紀近くになる。 講話の数は、1万回を超えた。 74年前、下平さんは城山国民学校(現・長崎市立城山小学校)の5年生だった。 爆心地から約500メートルに位置し、原爆で児童約1500人のうち1400人近くが犠牲になった学校だ。 下平さんはその日、母にせき立てられ、甥の本田さん(当時1歳)を背負い、妹の手を引いて防空壕(爆心地から約800メートル)へ逃げた。 朝から鳴り響いていた空襲警報が突如止み、他の皆が防空壕の外へ出た。 だが下平さんたち3人は防空壕の中で母を待つことにした。 「何があっても防空壕を出るな」との兄の忠告を覚えていたからだ。 壕の入口から強烈な光を見たのはその時だった。 下平さんたち3人は爆風で吹き飛ばされ、意識を失う。 その後、壕の外へ出ると、辺りは黒焦げの死体だらけ。 一瞬にして街は消滅していた。 下平さんは原爆で母、姉、兄の命を奪われた。 妹はその後、被爆の影響か、患った盲腸の手術の傷口がふさがらず、苦しみに耐えかね、自ら命を絶った。 被爆から10年後だった。 絶望の中で下平さんは、甥・本田さんを実の弟のようにかわいがり、共に生き抜いてきた。 無残な光景や体験を語る負担は決して、軽いものではない。 最近は、付き添いがないと遠出できない下平さんだが、今も年間100回以上の講話を続ける。 「同じ苦しみを二度と繰り返させたくない。 事実を語っていくことは、生き残った者の責務だから」。 賢人会議が城山小学校の被爆校舎を初めて訪問=2018年11月 長崎市 本田さんは現在、城山小学校の原爆殉難者慰霊会として、同校の被爆校舎の保存・継承活動に携わっている。 本田さんには被爆直後の記憶はないが、焼け跡が残った同小学校に入学し、祖父が犠牲者を悼む納骨堂を建てた姿などが心に焼き付いている。 今の活動の原点だ。 先月、本田さんは同慰霊会の会長に就任した。 昨年秋には、核保有国と非保有国の有識者らが核軍縮の進め方を議論する「賢人会議」が同校を訪問。 「一時的な運動でなく、続けることが大事」と下平さんと本田さん。 その瞳は、命ある限り戦争や核兵器への無関心と闘い続けるという決意に満ちていた。

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長崎 被爆74年 命ある限り、伝えたい

命ある限り生き抜いた先に

GONG 作詞 KENTA 作曲 KENTA 唄 WANIMA 広い海を今日も進む 信じた思いが旗を掲げて まだ知らない世界の先に きっと繋がる未来を描いて 近道なんてもったいない これからも冒険は続くのでしょう いつも胸の中で笑う声が 迷う心をとばして 振り返れば近くにいる どんな時も恐れず舵を切って 他の誰かには譲れない これからも挑戦は続くのでしょう 嵐の夜に弱さを知れば 一人じゃ何も出来なかった 言葉はいらない 疑いもしない 涙一つ見せない あの日を超えるまで 誰にも奪えない真っ赤な炎 命ある限り 生き抜いた先に 見つけ 手に入れたいもの 出逢えた喜びが気付けば 誇りになっていたこと それぞれの夢が一つに繋がる 旅はまだ途中だろう 募る想い強く動く鼓動 生まれてきたこと 恨んでいた時も あったけれど 沈んだ毎日温もりをくれた今でも忘れない 強くなって守りたい仲間がいるから 狙い定め ためらうことなく ただド真ん中を 運命のイタズラ 激しい渦の中 受け継ぐ意志が遠退いていく ギリギリでひたすら 本気以外中途半端だ 重ねた日々が繋がっている 決意の朝に覚悟を決めた 涙一つ見せない あの日を超えるまで 誰にも奪えない真っ赤な炎 約束の場所で待っている頃 命ある限り 生き抜いた先に 見つけ 手に入れたいもの 出逢えた喜びが気付けば 誇りになっていたこと それぞれの夢が一つに繋がる 旅はまだ途中だろう 募る想い強く動く鼓動 生まれてきたこと 恨んでいた時も あったけれど 例えば世界を敵に回してもかまわない 守り抜くんだよ 自由だって 見てみたい明日があるから 狙い定め ためらうことなく ただド真ん中へ 見に行こう Hey!! まだ知らぬ町へ 見に行こう Hey!! 仲間を増やして? に行こう Hey!! もっともっと 逢いに行こう Hey!! 生まれた町まで 逢いに行こう Hey!! 久々宴だって 逢いに行こう Hey!! All Rights Reserved 「 」では、著作権保護の観点より歌詞の印刷行為を禁止しています。 WANIMAさん『GONG』の歌詞をブログ等にリンクしたい場合、下記のURLをお使いくださいませ。 或いは、下記タグをコピー、貼り付けしてお使いください。 WANIMAさん『GONG』の歌詞 ゴング words by ケンタ music by ケンタ Performed by ワニマ.

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WANIMA

命ある限り生き抜いた先に

「命ある限り生き抜く」 ある雑誌に瀬戸内寂聴さんが語っておられました。 私は瀬戸内さんの小説は一冊も読んだことがありません。 出家されたのはもう30数年も前だったでしょうか、当時流行作家のお一人でした。 その瀬戸内さんは幼いころからとても優秀だったらしく、大学を出られたあと小説家になられたのですが、優等生によくありがちな不良に憧れ、いつしかのめり込んでいかれたそうです。 ご自身も語られておられましたが、家庭を捨て、子供も捨て、悪いこともたくさんされながら小説を書き続けたそうです。 そんな流行作家の地位まで捨て仏の道を選ばれたのは一体何だったのか? ご本人は確固たる信念がなければ本当の小説は書けないと気づかれたそうです。 自分にはそれがなかったと云われています。 そして何か人間より大きな存在に救いを求めたいという思いにかられたそうです。 それが仏門に入られた理由だったようです。 私はそんな経緯を知りませんでしたから、驚きと大きなチカラの導きの尊さを改めて感じたのです。 まもなく中尊寺で得度式を迎えます。 頭を丸める際に天台宗では毀形唄(きぎょうばい)という声明を横で奏上するそうです。 毀形とは形をこわすことを云い、まさしく女であることをこわす、浮世の人間であることをこわす、ことになったのです。 丸めたご自分の顔を鏡で見て、「ああ、これが自分か」と思ったら、ストンと何かがわかった気がした、と述べられていました。 執着を捨て、裸になると人間は何かを悟るのかも知れません。 瀬戸内さんはこの度の東北大震災に病の身体をおして、被災地の方々が震災から目が覚め、途方に暮れるであろう時期を見定め、慰問と説法に赴かれました。 その様子はテレビでも何度も放送されていました。 印象に残った言葉は、 「命ある限り生き抜いてください。 必ず明るい光が待っていますから。 ね、頑張ってください。 」 という言葉でした。 あの小さい身体から光が放たれているようでした。 瀬戸内さんは90を迎えようとしています。 仲間だった川端康成さんや三島由紀夫さんなど作家の多くが先に行き、死に対する恐怖感はないそうです。 ブッダ(悟りの人)を目指して仏教僧は修行を積むのですが、ご本人はいたって楽天的で、この世はいっぱい楽しんだ方がいい、と云っておられます。

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