大江山の歌 返歌にも及ばず。 十訓抄『大江山』現代語訳

大江山(古今著聞集) 原文

大江山の歌 返歌にも及ばず

その時に、 【二】<代作は届いたかとの定頼の揶揄> 定頼の中納言たはぶれて、小式部内侍ありけるに、 「 丹後へ遣はしける人は参りたりや。 いかに 心もとなく思すらむ。 」と言ひて、局の前を過ぎられ けるを、 =定頼中納言がふざけ(からかっ)て、小式部内侍が 局(私室)にいた時に「丹後国へ遣わした人は京都 に帰って参りましたか。 さぞかし待ち遠しくお思い になっていることでしょう」と言って、小式部内侍 のいる局の前を通り過ぎなさったところ、 【三】<小式部が返事に詠んだ即興の見事な歌> 御簾より半らばかり出でて、わづかに直衣の袖を控へ て =小式部内侍は、御簾から半分ほど体を乗り出して、 少し定頼の直衣の袖を引き止めて 大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立 =大江山を越え、生野を通って行く(丹後への)道が 遠いので、まだその先の天の橋立に足を踏み入れた ことはなく、母からの手紙も見てはいません と詠みかけけり。 =と詠みかけ(て返歌を求め)た。 思はずに、あさましくて、「こはいかに、かかるやう やはある」とばかり言ひて、返歌にも及ばず、袖を引 き放ちて逃げられけり。 =定頼は、意外な事で驚き呆れて、「これはどうした ことか、このようなことがあるものか、いやある筈 がない」とだけ言って、返歌を詠むことも出来ず、 袖を引っ張り放してお逃げになったと言う。 【四】<評判が広がった小式部内侍> 小式部、これより、歌詠みの世におぼえ出で来にけり。 =小式部内侍は、この一件以来歌詠みの世界で評判が 広がることになった。 京都から山陰道を下る時、必ず通る山城と丹波の 国境にあり、交通・軍事の要所・歌枕の地。 平安初期以来、貴族の間に流行。 平安後期 には歌人の実力を争う場となった。

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大江山(古今著聞集) 原文

大江山の歌 返歌にも及ばず

小式部内侍の母は当時の有名な歌人であった和泉式部。 「和泉式部日記」の作者としても知られていますね。 当時、小式部内侍が歌が上手なのは、この母親の代作ではないかと疑われることもあったようです。 そして、ある時、小式部内侍は歌合の歌人として選出されます。 このことは、当時の歌人にとっては大変名誉なことでした。 そんな中、定頼中納言がおもしろがって、今度の歌合で詠む歌は、お母さんからもう教えてもらったのかという意味合いのことを言って、小式部内侍をからかいます。 すると、小式部内侍はすぐさま歌を詠んでやり返しました。 「お母さんがいるところは、ここから遠いから、まだ会いに行ったこともないし、もちろん手紙ももらってないわ。 (歌はお母さんから教えてもらっているんじゃないんだから。 )」 この歌が、掛詞の技法を用いつつ、すばやくその場にふさわしい内容を詠み込んだすばらしい出来栄えだったんですね。 してやられた感のある定頼中納言は、何も言い返すこともできずに逃げていくしかなかったわけです。 ですが、この一件が、小式部内侍の歌人としての名声を上げるのに一役買うことにもなったようですね。 鎌倉時代中期の説話集で、十の教訓の説話を集めています。 なお、この話は教科書によっては、「古今著聞集(ここんちょもんじゅう)」から出典されているものもあります。 内容はほぼ同じものになっていますが、多少違いがありますので注意してください。 それでは、原文と現代語訳と注釈です。 いかに心もとなく思(おぼ)すらむ。 」 と言ひて、局の前を過ぎられけるを、 6 御簾(みす)より半(なか)らばかり出(い)でて、わづかに直衣(なほし)の袖(そで)を控へて、 7 大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天(あま)の橋立(はしだて) と詠みかけけり。 8 思はずにあさましくて、 「こはいかに、かかるやうやはある。 」 とばかり言ひて、 9 返歌にも及ばず、袖を引き放ちて逃げられけり。 10 小式部、これより、歌詠みの世におぼえ出(い)で来(き)にけり。 11 これはうちまかせて、理運のことなれども、 12 かの卿(きやう)の心には、これほどの歌、ただ今詠み出だすべしとは、知られざりけるにや。 どんなにじれったくお思いになっていることでしょう。 」 と言って、部屋の前を通り過ぎなさったが、 6 (小式部内侍は)御簾から半分ほど身を乗り出して、かろうじて(定頼の)直衣の袖を引き止めて、 7 (小式部内侍の歌)大江山を越えて行く、生野の(丹後までの)道が遠いので、まだ(丹後の)天の橋立は踏んだこともありませんし、(母からの)手紙も見ていません。 と詠みかけた。 8 (定頼は)思いがけないことに驚いて、 「これはどうしたことか、このようなことがあろうか(いや、あるはずがない)。 」 とだけ言って、 9 返歌をすることもできず、袖を引き離してお逃げになった。 10 小式部は、このときから、歌人としての世間での評判が立つようになった。 11 これは普通一般に、道理にかなっていることであるが、 12 あの卿(定頼)の心の中では、これほどすぐれた歌を、今すぐに詠み出すことができようとは、ご存知ではなかったのであろうか。

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大江山・十訓抄 現代語訳・品詞分解・原文

大江山の歌 返歌にも及ばず

思はずにあさましくて、6「こはいかに。 」とばかり言ひて、7 返しにも及ばず、袖をひきはなちて8 逃げられにけり。 小式部、これより歌よみの世おぼえ出で来にけり。 平安時代中期の歌人。 一条天皇の中宮彰子に仕え、後、藤原保晶の妻となった。 958年〜1026年。 丹後国(現在の京都府北部)など、諸国の長官を歴任した。 武将としても有名である。 和泉式部とその前夫橘道貞との娘。 日本三景の一つ。 一次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。 1 和泉式部 2 丹後 3 歌合 4 小式部内侍 5 局 6 御簾 7 直衣 8 天橋立 二 次の語の意味を辞書で調べよ。 1 歌合 2 遣はす 3 心もとなし 4 おぼす 5 あさまし 三 登場人物を抜き出せ。 また、傍線部1〜12の問いに答えよ。 登場人物 和泉式部 小式部内侍 1 どの部分にどういう関係で続いているか。 2 「 」は誰の言葉か。 また、この言葉を聞いたのは誰でどのように感じたか。 3 「丹後へつかはしける人」とはどんな人か。 「参り」はどこへ参りなのか。 4、5 主語を記せ。 6 「 」は誰の言葉か。 また、どういう気持ちが分かるか。 7 どういうことか。 8 主語を記せ。 四 二重線部1,2の文法問題に答えよ。 1 活用の種類 基本形 活用形 2 結びの語 基本形 活用形 五 口語訳 和泉式部が、保昌の妻として丹後の国に下ったときに、京で歌合があったが、(その娘)小式部内侍が、歌合のよみ手として選ばれてよむことになったが、定頼の中納言が、からかって小式部内侍が局にいたときに、「丹後へおやりになったという使いは戻って参ったか(母上の和泉式部の助けがなくてお困りでしょう)。 」と(局の中へ)声をかけて、局の前を通り過ぎなさったところ、(小式部内侍は)御簾から半分ほど出て、(定頼の着ている)直衣の袖を引き止めて、 大江山・・・大江山、生野という所を通って行く、丹後への道が遠いので、まだ天橋立を訪れたことはございません。 (そのように、母のいる丹後は遠いので、まだ便りもございません。 ) と(定頼に歌を)よみかけた。 (定頼は)思いがけないことであきれて、「これはどういうこと。 」とだけ言って、(当然の作法である)返歌することもできず、(引き止められた)袖を振りきってお逃げになってしまった。 小式部は、このことにより歌人としての世の評判が出て来たそうだ。 袖を振りきり逃げる 定頼の中納言 主題 小式部内侍の歌人としての出発 小式部内侍が大江山の歌 解答 一 1 いずみしきぶ 2 たんご 3 うたあわせ 4 こしきぶのないし 5つぼね 6 みす 7 のうし 8 あまのはしだて 二 1 左右に分かれた両方から出された歌に勝負をつけること。 2 おやりになる 3 気がかりだ 4 おおもいになる 5 以外であきれる気持ちだ 三 登場人物 和泉式部 小式部内侍 定頼の中納言 1 くだりける 主語述語 2 定頼の中納言 誰 小式部内侍 感じ 使いを出していないのに失礼だ 3 小式部内侍が丹後の 和泉式部のもとに送った使者 都へ 4、5 小式部内侍 6 定頼の中納言 小式部内侍の返歌のすばらしさに信じられない気持ち 7 返歌もできない 8 定頼の中納言 文学史 成立 1254年 橘成季編 内容 700話.

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