ニコラテスラ。 ニコラ・テスラ

【ニコラ・テスラ】成功者が導き出した、369の法則とは?

ニコラテスラ

ラボラトリーでの実験風景。 グラーツ工科大学で学んだあと1881年にの電信(電話)会社に入社しとして勤務。 1884年にアメリカに渡りのもとで働くが1年後独立。 にを設立。 新型の電動機を開発・製作 、にはテスラ変圧器(。 の一種だが、きわめて高い電圧を発生させるもので空中放電の(派手な)デモンストレーションの印象で今にいたるまで広く知られているもの)を発明。 また回転界磁型の電動機から発電機を作り上げ、1895年にはそれらの発明をナイアガラの滝発電所からの送電に応用し高圧電流を発生させ効率の高い電力輸送を実現させた。 (通常の発明家と言うよりは)「肌の発明家」である。 電気方式、無線操縦、などといった現在も使われている技術も多く、また「世界システム」なる全地球的送電システムなどの壮大な構想も提唱した。 電気や電磁波を用いる()の歴史を語る上で重要な人物であり、の「」にもその名を残しており、LIFE誌が1999年に選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれている。 テスラが遺した技術開発にまつわる資料類はのにも登録されている。 で、詩作、、にも精通。 ではテスラ側の陣営とエジソン側の陣営はライバル関係となり、結局、テスラ側が勝利した。 人物・生涯 [ ] 父母ともにで、Milutin Teslaを父として、ドゥカ(Duka)を母として、1856年深夜、(現在の西部)近郊の村 () で誕生。 父のミルーチンはので。 母ドゥカはなど調理器具類のをするような人物であった]。 テスラ家にはニコラ誕生時に、兄のデン(Dane)と姉2人 ミルカ(Milka)とアンジェリーナ(Angelina)がおり、後に妹のマリカ(Marica)も誕生した。 5歳の頃に兄を失ったがそのころから頻繁にを見たとされ、「ニコラ(テスラ)以上の」と呼ばれた兄を上回るため、ニコラは勉学に励み、特にで突出した才能を発揮したとされる。 高校時代に、に感染していると医者から診断され、床につき、9ヶ月もの間、生死の境をさまよった。 (こういう経験をすれば、ある意味当然であるが、を恐れるようになり、ニコラは他者との間にいわゆる「身体的距離」をとれない状態には、身の危険を感じるようになった。 ) に入学。 グラーツ工科大で学ぶうちに電気モーターに魅了され、またそのころにという方式を着想した。 同校で2年ほど学んだころに父のミルーチンが死去してしまい 、しかも父はニコラが授業料を払うためのお金も残さずに死んでしまったので 、しかたなく、同校を去り自力で役に立つことを学ぶことにした。 1878年12月、を中退。 1880年1月、に留学。 ただしコースの卒業証明はうけていない。 ハンガリーのへとをし、電信局で勤めるかたわら、「交流電流」方式の活用方法の探究を続ける。 (1881年1月、国営電信局に就職。 、の開発に成功。 ところが、彼が開発した誘導モーターにヨーロッパでは興味を持ってくれる人が全然見つからなかったので、米国に行くことにした。 に渡米したが、その時のテスラは、ほとんどお金の持ち合わせもなく、持っているものと言えばせいぜい、自分で書いた詩だとか、飛行機械のアイディアに関する計算を記した書類、という状態であった。 のエジソン電灯会社の求人を見つけ採用される。 当時、同社はによる電力事業を展開していて、一方、テスラはによる電力事業を提案し、エジソンと対立して数ヶ月で失職する。 4月、独立したテスラは Tesla Electric Light Company(テスラ電灯社)を設立し、独自に交流による電力事業を推進して同年10月に交流システムの特許を出願 する。 (これが、テスラとウェスティングハウス社との連携へとつながり、「電流戦争」へと繋がってゆくことになる。 ) 5月16日、アメリカ電子工学学会でデモンストレーションを行い、感銘したから研究費100万と特許使用料を提供される。 テスラの特許を使用した交流は、社 ()の設計で、 ()に25のものが設置された。 この時期、ウェスティングハウスはテスラのためにラボ(研究所)を設立し、さまざまなプロジェクトをまかせた。 その中にはたとえばヴィルヘルム・レントゲンのの装置の開発などというものもあった。 テスラは同年に循環磁界を発見して超高周波発生器を開発するが、ウェスティングハウス社技術陣の中で孤立して1年で離れる。 、申請が通り米国の国籍を取得。 同年、100万まで出力可能な高圧変圧器()を発明。 、を発明する。 会場内の電気供給に、電気館の電源システムをウェスティングハウス社が構築して交流システムで電気のいっさいをまかなった。 これは、20台の単相500馬力発電機を2群にわけ、それぞれ回転子を90度ずらして12000馬力発電機として構成し、により駆動して発電した電力を変圧器で昇圧して送電後、再度変圧器で降圧して16の電灯を1000個点灯するとともにを回したもので、ほかにを設置して直流電源電車を走行させた。 、の米国特許を取得し、特許を取得してで無線操縦の船舶模型を実演した。 、の援助により、ロングアイランドのショアハムに高さ57の無線送信塔「」を建設開始し 、1905年に完成するもモルガンとの関係悪化により資金繰りが悪化し研究を中断する。 がに参戦すると、タワーは新しいオーナーと鉄鋼会社の契約に基づいてに撤去 された。 、エジソンとともに受賞候補となったという噂が流れるが共に受賞しなかった。 1930年代にも受賞候補に選ばれるが受賞しなかった [ ]。 、米国電気工学協会の授与対象になり一度は辞退するが()再考後にこれを受ける。 、「フリバー Flivver 」と言う名称の「空中輸送装置」の特許を得たが、これは(式)の最初期に当たる。 (テスラは天才肌の発明家で、おまけに長身で美男であったわけであるが)テスラは、大富豪で大投資家のの令嬢 アンヌ(Anne)などからも愛された(惚れられた)こともあった。 だが結局、テスラは生涯をで通した(J. モルガンからの資金援助の打ち切りは、令嬢のことが関係している、とも言われる)。 、のニューヨーカー・ホテルで死去。 享年86歳であった。 検死の結果死因はとされた。 晩年は金銭苦に陥り、亡くなった時点でほぼ無一文であった。 テスラの友人のひとり(「アメリカSFの父」と呼ばれる人物)は、テスラ死後にそのを製作させたという。 数の重量に及ぶとされる彼の発明品や設計図は「アメリカ軍とが没収した」「ユーゴスラビアを通じての手にも渡った」と街談巷説されたが、実際はFBIの押収後に複製されて母国に返還された。 原版はのニコラ・テスラ博物館に保管され、にに登録された。 地球規模の無線送電システムの構想 [ ] ウォーデンクリフ・タワー テスラ自身は「世界(無線)システム」()と呼んだ構想。 「 Tesla World system」とも) 電磁波を用いて無線で送電を行う装置の構想であり、ひとつの巨大な送電装置を地球上のどこかに設置することで、ケーブルを使わずに、地球上のありとあらゆる場所に電力を送り届ける、という構想である。 実際にニューヨーク州に「」を建設し、実験も行った。 ただし、実験で用いた周波数が150と低かったため、減衰が大きく、到達地点では微弱になりすぎ、これは実用化には至らなかった。 死後の受賞や表彰や再評価 [ ] 冒頭の説明で、磁束密度の単位名にテスラの名を用いることが選ばれたこと(「」)、LIFE誌の1999年の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」での選出、テスラが遺した資料類のユネスコへの登録、などを紹介したが、他にも以下のようなことも行われた。 IEEEでは、1975年にテスラの名前を冠した「 ()」が設けられた。 母国で、科学技術の発展に著しく貢献したとしてテスラの肖像が、100通貨に使用されている。 米国の電気自動車メーカーの「」の社名もニコラ・テスラへの賞賛をこめて名づけられた。 エジソンとの確執 [ ] 詳細は「」および「」を参照 テスラがエジソン電灯会社に入社した当時のは研究者と発明家としてすでに実績があり、エジソンへの憧憬や敬意から就職したとも考えられ、給与未払いなどの話題もあるが、両者の確執は「ととの確執」に起因している。 エジソンは、エジソン好みの直流用に設計された工場システムをテスラの交流電源で稼働させたら、褒賞として5万ドル払うと提案した。 直流の優位性や安全性に加えて交流の難しさなどを考慮した発言だったが、テスラはこれを成功させた。 交流を認めたくないエジソンは褒賞を「冗談だった」で済ませ支払わなかったため、テスラは激怒して後に退社する。 後年にテスラら交流陣営とエジソンの直流陣営が紛争し、エジソンは交流の危険性を広めるためのキャンペーンとして有名な処刑を発案するなどしたが、現在は全世界で交流送電が採用されている。 以下はエジソンとの確執をあらわすエピソードである。 「エジソン」の名がつく賞への嫌悪感 の最高勲章である「」の受章を1916年に打診され、一度は固辞するものの1917年に受ける。 (なお前述のように、IEEEでは、1975年に、テスラの名前を冠した「 ()」が設けられた。 1917年、生活に貧するテスラへ米国電気工学協会から授与が知らされるが、「私に名誉の勲章をくださるということですが、それを上着につけてあなた方協会員の前で得意げに見せびらかせばよいということですか。 あなた方は私の体を飾り立てるばかりで功績を認められそこなった私の頭とその画期的な発明には何も与えてくださらない。 今日、あなた方の協会があるのは、おおかた私の頭とその産物が下地を与えたからだというのに」 [ ]と、エジソンの名が冠されたこの賞を断った。 エジソンの死後、のインタビューで否定的にコメントしている。 私は少し理論を利用するか計算するだけで90%削減できたであろう労力を彼が費すのを残念に思いながらほとんど見ているだけだった。 彼は本での学習や数学的な知識を軽視し、自身の発明家としての直感や実践的なアメリカ人的感覚のみを信じていた。 I was almost a sorry witness of his doings, knowing that just a little theory and calculation would have saved him 90 percent of the labor. But he had a veritable contempt for book learning and mathematical knowledge, trusting himself entirely to his inventor's instinct and practical American sense. エジソンは典型的な実験科学者、テスラは理論科学者、として研究手法が「水と油」であったことが示唆される。 逸話 [ ]• 幼少期は空想と数々の強迫観念に囚われていた。 成人以後は異常なで知られた。 「公園を歌いながら散歩しつつ思考しており、なにかひらめいたらしくとんぼ返りをした」と当時の目撃者が記録している。 「地球を割ってみせる」「宇宙人と交信している」など奇怪な発言も多かった。 テスラは(心霊診断を行ったとも交流があり)晩年に「との通信装置」を研究したとも [ ]。 なお当時は社会全般がそういう風潮だった時代であり、エジソンも(同様に)晩年に「霊界との通信装置」などを研究した。 テスラという人物や彼の発明品であるテスラコイルなどは、技術界では高く評価されており、現代でも普通の技術者や科学者を魅了するが、また、現代の団体やの信奉者なども魅了する(ひきつける)。 (奇抜な研究内容や、数々の伝説、冷遇された人生などからだ [ ]、という)。 関連項目 [ ]• (テスラが創始とされている)• (テスラの名にちなむ)• (アメリカ合衆国の新興メーカー。 テスラの名はオマージュ) 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• Tesla Universe. 2018年10月18日閲覧。 新戸 雅章 『超人ニコラ・テスラ』筑摩書房 p. 102 1993• 新戸 雅章 『超人ニコラ・テスラ』筑摩書房 p. 146 1993• TeslaTech, Inc. 2017年5月24日閲覧。 新戸 雅章 『超人ニコラ・テスラ』筑摩書房 p. 232 1993• Engineering and Technology History Wiki. 2017年5月24日閲覧。 Tesla Memorial Society of New York• MAY 18, 1917. Twenty First Century Books• Memory of the World. UNESCO. 2017年5月24日閲覧。 Biographiq. 2008. 2010年11月25日閲覧。 参考文献 [ ] 伝記 [ ]• Nikola Tesla『My Inventions』• 宮本寿代訳『ニコラ・テスラ 秘密の告白 世界システム=私の履歴書 フリーエネルギー=真空中の宇宙』(、2013年)• Margaret Cheney『Tesla: Man Out of Time』(Dorset Press、1981年)• 鈴木豊雄訳『テスラ 発明王エジソンを超えた偉才』( 、)• 『発明超人ニコラ・テスラ』(、1997年)• 原作・構成、・作画『 エピソード1 ニコラ・テスラ エジソンを震えあがらせた大天才』 テスラの登場するフィクション [ ]• ジョン・ケース(佐藤耕士訳)『ゴーストダンサー』(ランダムハウス講談社文庫、(平成19年))• (訳)『』(、(平成22年)) 上巻 下巻• :今日の電気文明の礎となった英雄。 「大神の雷霆を人の技術へと堕とした」偉業から、近代の英雄ほど能力が低くなる世界観において、19世紀の人物としては例外的に強力に描かれる。 (、2018年):を迎えた文明の19世紀。 テスラは電灯ではなく機械工業分野で起業し、アメリカ難民を率いて「テスラシティ」を築く。 だが圧政を敷いたために内紛が起き都市は壊滅、元住民によって殺害される。 アダム・ファウアー(訳)『心理学的にありえない 上・下』(文芸春秋、2011年)原題はEmpath y written by Adam Fawer 感情の通信をテーマに書かれたもので、テスラの研究成果を現代で別の学者が続けて行っていくフィクション。 岩原裕二『ディメンションW』(ヤングガンガンコミックスSUPER、続刊中)• 原作:、作画:『』(、2000年〜未完)• スコット・ウェスターフィールド(小林美幸訳)『ゴリアテ』(早川書房、(平成24年))• ジャン・エシュノーズ(内藤伸夫訳)『稲妻』( 近代文藝社、2013年)ISBN:978-4-7733-7892-4• PlayStation4用ゲームソフトウェア『The Order:1886』(ソニー・コンピュータエンタテインメント、2015年)• 原作:、作画:の超常科学NVL『』(、2014年〜未完)テスラの隠し子やウォーデンクリフ・タワーを小型化したウォーデンクリフ・ガンなどが登場するフィクション。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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天才発明家ニコラ・テスラの経歴と数字369の秘密と宇宙

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彼は天才的な頭脳と革新的な発想から数多くの発明と技術革新を起こしており、現代文明にも多大な影響を与えています。 画像:Nikola Tesla しかし、ニコラ・テスラの思想はあまりに時代を先取りしていたため、彼が生きた時代では理解されない研究もありました。 また、晩年にはオカルトに興味を示していたため、日本では「狂気の科学者」として扱われることも少なくないようです。 ここではニコラ・テスラの発明の中でも特に有名なものをご紹介します。 ニコラ・テスラが交流電流を推奨する以前は、発明王エジソンの会社が「直流電流」で電気システムを展開していました。 画像:pixabay しかし、ニコラ・テスラが交流電流の安全性と運用コストの安さを証明することで、より安くより安全に電気の運用が可能になったのでした。 電気を中心として発達した現代文明は、ニコラ・テスラの貢献によって成されたと言っても過言ではないのです。 現在、ラジオの発明者はイタリア生まれの発明家グリエルモ・マルコーニであるとされています。 しかし、グリエルモが特許を取得するよりも先にニコラ・テスラがラジオを発明したことが裁判で証明されています。 画像:pixabay ところがアメリカの特許庁はニコラ・テスラのラジオ発明特許を認めず、グリエルモを発明者であるとしたのです。 これはグリエルモの支援者にエジソンなどの発明家がいたことや、ニコラ・テスラが国にラジオの使用料を請求していたことが原因だといわれています。 この電動モーターは工業機械や建築機械などでも活用され、多くの電化製品の発達にも貢献しました。 画像:pixabay また、バッテリー式電気自動車にも使用され、ニコラ・テスラの名前を取り入れた「テスラモーターズ」という自動車会社も存在します。 無線信号と受信機によって有線で繋がっていなくとも機械を動かすことが可能になったのです。 画像:pixabay ニコラ・テスラのこの技術はテレビやエアコンなどの家電製品から、船や飛行機などの運搬機械にまで幅広く活用されています。 また、子どもに大人気のラジオコントロール(ラジコン)やドローンは一世を風靡しました。 彼はレントゲンに使用されるX線の発生機械も発明していました。 画像:pixabay ニコラ・テスラが発明した機械は電極がひとつしかないもので、現在のX線発生機械とは別物でした。 しかし、それが現在使われているX線の基本原理を築いたのです。 私たちの健康はニコラ・テスラの発明によっても支えられているのです。 ニコラ・テスラは電気技術以外にも8つの言語を習得しており、哲学や音楽の才能まであったのです。 画像:Nikola Tesla しかし、ニコラ・テスラが天才に育ったのは幼くして亡くなってしまった兄の影響が大きかったといわれています。 兄のデンはニコラ・テスラ以上の天才で、周囲の誰からも期待される存在でした。 ところがデンが亡くなったためにその期待は弟のニコラ・テスラにのしかかることになったのです。 彼は兄が亡くなった頃から幻覚を見るようになったといわれていますが、その原因は兄を亡くした悲しみだけではなかったようです。 大人になったニコラ・テスラは当時の発明の最先端であったエジソンの会社で働きました。 しかし、エジソン社で使用されていた直流電流に疑問を呈し、結果的に給料未払いのまま解雇されてしまいます。 画像:pixabay その後、ニコラ・テスラは独立してテスラ電灯社(Tesla Electric Light Company)を立ち上げ、交流電流の優位性を訴えることになります。 このニコラ・テスラとエジソンの対立は「電流戦争」と呼ばれ、最終的にはコスト面と安全面で優れていた交流電流を支持したニコラ・テスラが勝利しています。 エジソンはこの敗北がきっかけで出資者のジョン・モルガンにも見放され、エジソン社を追い出されることになってしまいました。 ちなみにモルガンはニコラ・テスラの出資者にもなっています。 発明王エジソンの生涯と逸話については関連記事にまとめています。 彼は幻覚の他にも妄想や強迫観念に苦しめられました。 画像:Nikola Tesla また、大人になってからは強度の潔癖症になり、その症状は病的と言えるレベルだったのです。 このような症状もニコラ・テスラが狂気の科学者と呼ばれる原因になったといわれています。 彼は頭脳明晰で穏やかな雰囲気を持っており、何より端正で整った顔をしていました。 画像:Nikola Tesla そのため彼に交際を申し込む女性はかなり多かったといわれています。 しかし、ニコラ・テスラは一度も結婚することはなく、生涯を通して独身を貫きました。 その原因は天才特有の彼の変わった性格だったといわれています。 天才たちの類にもれず、ニコラ・テスラも変人だったのです。 女性に縁のなかった天才画家ゴッホについては関連記事にまとめています。 彼はエジソンのパトロンであり、自身にとっても重要な出資者だったジョン・モルガンの娘に手を出しています。 画像:J. Morgan その後、モルガンはニコラ・テスラへの出資を打ち切っていますが、その原因は娘との交際にあったのではないかといわれています。 これにより彼は資金が不足し、いくつもの研究を中断せざるを得なくなりました。 ニコラ・テスラは彼にとって大切なパトロンと恋人を同時に失ってしまったのです。 このテスラコイルはふたつのコイルを共振させることで、高周波と高電圧を放出することができました。 画像: ニコラ・テスラはこのテスラコイルにより、無線での電気供給を可能にしようと考えます。 そして、実験の結果200個もの電球を電線なしで点灯させることに成功したのです。 このテスラコイルはニコラ・テスラの発明の中でも特にインパクトの強いもので、作動時には激しく稲妻を発生させました。 それに由来して彼は「稲妻博士」と呼ばれるようになったのです。 彼はテスラコイルによって発生する高周波と高電圧を使って、地球上のすべての地域に電気エネルギーと情報を伝達することができると考えました。 画像:Wardenclyffe Tower 人類のエネルギー問題を解決できるこの世界システムは多くの出資者から評価され、ニコラ・テスラは研究資金を手に入れることができました。 しかし、グリエルモ・マルコーニが太平洋を挟んだ無線通信に成功してしまったことや、予想以上に資金が必要になったことから研究は中断されてしまいます。 ニコラ・テスラの世界システムには健康上の問題もあるともいわれていますが、彼がやろうとしたことは時代を先取りした人類の問題解決だったとして現在でも一定の評価を受けています。 人類史上も最も多才といわれたレオナルド・ダ・ヴィンチについては関連記事にまとめています。 彼は周囲に電気エネルギーによって物体を浮遊させる方法を発見したと話していました。 画像:pixabay そして、この技術を応用して翼や燃料の要らない飛行機械を作成することが可能だと提案していたのです。 ニコラ・テスラのこの構想は資金などの関係で実現されることはありませんでした。 しかし、もし彼がいうことが事実であれば、現在でも研究され続けている反重力システムが既に完成していたのかも知れないのです。 それは彼が責任者となって行われたとされるアメリカ軍の「フィラデルフィア計画」です。 当時のアメリカはレーダーに映らないステルス戦闘機の研究を進めていました。 そして、その一環としてテスラコイルによる軍艦の地磁気消滅実験が行われたのです。 テスラコイルを起動すると計画どおり戦艦はレーダーから姿を消しました。 しかし、レーダーだけでなく戦艦自体も姿を消してしまったのです。 画像:USS Eldridge DE-173 ca 戦艦は2,500kmも離れた海域に瞬間移動し、数分後もといた場所に再び姿を現しました。 驚いた研究者たちが船内を調べるとそこには惨状が広がっていました。 乗組員たちの体がまるで船の一部のように船体と同化していたのです。 また、体の一部だけ透明になっている乗組員まで存在したといいます。 この都市伝説はカルロス・マイケル・アレンデという人物から告発の手紙が送られたことで世界中に知られるようになりました。 これに対してアメリカ海軍は、実験に使われたとされている戦艦が実験海域に滞在した記録はないと発表しています。 これは当時の発明家としては特別珍しいことではなく、エジソンも全く同じ研究に傾倒しています。 画像: しかし、ニコラ・テスラがもともと狂人と呼ばれていたことや、インパクトの強いテスラコイル、都市伝説のフィラデルフィア計画などと一緒に語られることで、現在ではオカルト的なイメージが強い人物になってしまいました。 そのため日本では発明家としてではなく、オカルトとしてのニコラ・テスラの方が有名になっています。 また、稲妻博士の愛称からマンガやゲームのキャラクターとして使われることもあるようです。 画像: しかし、ニコラ・テスラは決してマッドサイエンティストなどではなく、革新的な発想を現実に変える優れた発明家だったのです。 彼は自然を愛し、本当の発明とは人類だけでなく環境にも優しいものだと提唱しました。 また、世界システムも全ての人類の発展のために構想されたものだったのです。 ニコラ・テスラは決して狂った科学者などではなく、後世の発展に努めた真の科学者だったのです。 ここではニコラ・テスラの名言・格言の中から特に有名なものをご紹介します。 私たちの頭の中にある驚異的な組織に比べれば、 いかなる論理や計画も取るに足らない。 先ずは頭の中で思考し、実践するのだ。 実際に行うのも思考するのも大した差はない。 その情熱や愛をすべて女性に与えてしまうからだ。 出典参考: 画像: いかがでしたか?狂気の科学者と呼ばれるニコラ・テスラについてご紹介しました。 ニコラ・テスラには実現させたかった構想が他にもあったといわれています。 十分な資金と時間があれば彼は何を生み出していたのでしょうか?世界にはまだまだロマンが溢れています。

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大天才ニコラテスラの凄さが分かる8つのこと

ニコラテスラ

アメリカ海軍が行ったこの実験は、 「 軍艦をレーダーから見えなくする」 もちろん、これだけなら驚くにあたらない。 現代では「ステルス技術」としてすでに実現されている。 レーダーから放射された電波を吸収すれば、電波が戻らないので、レーダーはキャッチできない。 つまり、レーダーでは不可視となる。 ところが、フィラデルフィア実験では、軍艦はレーダーから消えたのではなく、 人間の目から消えたのである。 実験台となった軍艦エルドリッジは、いったん消滅し、数百マイル離れたノーフォークに現れ、再びフィラデルフィアに現れた。 つまり、ワープしたのだ!話はこれにとどまらない。 還ってきた軍艦エルドリッジの中で、異常現象が起こっていた。 乗組員の身体が、甲板や壁にめり込んでいたというのだ。 1つの空間に2つの物体が共存する異常世界である。 これはかなり有名なネタで、 SF映画の格好の題材となった。 しっかり映画化され、続編までつくられている。 映画のほうもネタ同様、なかなか面白い。 一見の価値はあるだろう。 ところで、この話ホント? もちろん、自分で見聞きしたわけではないので、断言はできない。 ただ、これだけは言える。 この実験のように空間を歪曲させるためには、とてつもない重力場が必要だ。 例えば、太陽系最大の重力をもつ太陽の近傍でさえ、空間はほんのわずかしか曲がらない。 ましてや、先の実験のように、空間をアメのようにひん曲げるには、 太陽サイズの物体がいくつあっても足りない。 だいたい、そんな技術をアメリカが持っていたとすれば、原子爆弾なんか必要なかっただろう。 空間を割って移動できるのだから。 世界の戦術を一変させる超兵器である。 もし、そんな超兵器があれば、の「マンハッタン計画」は歴史から消えていたはずだ。 空間をひん曲げるために、テスラが発明したテスラ コイルが使われたというのだ。 確かに、テスラ コイルは実在するが、電圧を変換する装置で、物質転送の助けになるとは思えない。 ところが、「テスラ コイル」には不思議なカリスマがあるらしく、怪しい世界で人気がある。 「コマンド アンド コンカー」は、米国Westwood社の戦術シミュレーションで、ミリオンセラーを記録している。 ここに登場するテスラ コイルは、強力な電磁光線で軽車両なら一撃で破壊する。 値は張るが破壊力抜群なので、基地の防衛には欠かせない。 ただし、電力をバカ食いするのが難点だ。 また1950年代には、ニコラ テスラのもとで働いていたと称する発明家が、画期的な飛行体を発明したという。 どうやら、で飛ぶらしい。 もちろん、動力はおなじみの重力場推進。 地球の重力圏を瞬間に離脱、宇宙に飛び出すはずだったが、いまだ成功したという話は聞かない。 さらにテスラが関わったとされる装置を列挙すると、人工地震兵器、殺人光線、気象兵器、反重力装置 ・・・ かくして、テスラは歴史上最大のマッド サイエンティストに祭り上げられた。 SFファンなら「 マッド サイエンティスト」と聞けば、ピンとくるだろう。 直訳すると「気のふれた科学者」だが、微妙なニュアンスがあるので、きちんと説明しよう。 マッド サイエンティストとは、頭は切れるが、予測不能の人格で、人里離れた山奥で、怪しげな実験をしている科学者。 だが、マッド サイエンティストの一番のキモはその世界観にある。 有名どころでは「 フランケンシュタイン博士」。 ストーリーは映画やドラマでおなじみだ。 ヴィクター フランケンシュタインなる医師が人里離れた実験室で、死体をつなぎ合わせて人間を再生する、というお話。 実験は成功したものの、完成した人造人間は肉体も精神も優れるのに、姿だけは醜かった。 好意をよせる女性にも相手にされない。 そこで、自分の伴侶となるイブを造ろうともくろむ。 それが叶わないと分かると、自分を造ってくれたフランケンシュタイン博士の周囲の人々を殺し始める。 そして最後に、北極海で行方をくらませる ・・・ これほど、 「マッド サイエンティスト」を完璧に再現した作品はないだろう。 間違いなく、歴史的な傑作である。 何度も観る気にはなれないが。 ところが、映画やドラマの上をいくのが原作の「フランケンシュタイン」。 この中で、ヴィクター フランケンシュタイン医師は、生命の根源を見極めようと、人が死んで腐敗していくプロセスを詳細に調べる。 それが完全に理解できれば、逆に、腐敗した死体から、生きた人間を造り出せると考えたのである。 その描写は背筋が寒くなるほどだが、この小説が うら若き女性によって書かれたという事実には驚愕する。 とてつもない想像力の持ち主か、実在のモデルがいたかのどちらかだ。 実は、「 ヴィクター フランケンシュタインの日記」なるものがあって、これがモデルとなったという説がある。 この日記によると、フランケンシュタインは、墓場から死体を持ち出しては、夜な夜な人体実験に励んでいたという。 まさに、原作そのもの。 もちろん、真偽のほどはわからない。 さらに、作者のメアリー シェリーの人生も、そのまま怪奇小説になるほど、奇々怪々。 1816年、メアリーは妻子あるパーシー シェリーと駆け落ちし、ジュネーヴのレマン湖畔のディオダティ荘に転がり込んだ。 そこには、放蕩詩人バイロンとその同性愛相手のポリドリ、さらに、バイロンの元恋人クレアがいた。 こうして、 5人の背徳の同居が始まったのだが、そんなある日、バイロンが一人一作ずつ怪奇小説を書こうと言いだした。 それが後の「フランケンシュタイン」につながったのである。 ちなみに、メアリー シェリーの母親も有名人だ。 18世紀のフランス革命に触発され、法や世論がいかに女性を差別しているを訴えた。 代表作は女性開放思想の古典「女性の権利の擁護」である。 ニコラ テスラは、1856年7月にクロアチアに生まれた。 大学で電気工学を学んだ後、パリで働く。 その後、アメリカに渡り、 エジソンの会社で働くが、意見が対立し退社している。 原因は、送電方式の対立にあったと言われる。 電力を送る方法は、直流方式と交流方式があるが、エジソンは直流方式を、テスラは交流方式を支持したのである。 それぞれ、メリット、デメリットがあるが、現在、世界で使われているのは交流方式。 つまり、現時点では、テスラが正しく、エジソンは間違っていたことになる。 ところで、 エジソンほどの大発明家がなぜ間違いを犯したか?推測だが、エジソンは交流方式が理解できなかったのではないか。 直流は中学生でも理解できるが、交流は、大学で学ぶ微積分学が不可欠となる。 ところが、エジソンはそれを学んでいない。 ニコラ テスラは、マッド サイエンティストなどではなく、 優れた発明家であった。 1888年には交流発電機と交流電動機(交流モーター)を発明している。 世界を変えた歴史的な発明だが、知名度は限りなくゼロに近い。 エジソンの白熱電灯のほうがよほど有名だ。 白熱電灯などすでに過去の異物だが、交流モーターは今も使われている。 しかも、白熱電灯と交流モーターでは技術のレベルが違う。 にもかかわらず、エジソンの知名度がテスラの1000倍!一体どうなっているのだ?テスラはただ歴史を味方につけることができなかった、そんな気がしてならない。 1899年、標高2000mの町コロラドスプリングズで、歴史的実験が始まった。 そして、この実験がニコラ テスラをマッド サイエンティストに仕立てたのである。 ニコラ テスラが建設したワーデンクリフ研究所の中央には、高さ60mのポールがそびえ立ち、先端には不気味な金属球が輝いていた。 どう見ても、 B級SF映画の大道具だ。 研究所の中はさらに異様である。 巨大なコイル、コンデンサ、無数の配線が血管のように張り巡らされた。 もちろん、テスラの十八番の「テスラ コイル」もある。 マニアが泣いて喜ぶマッド サイエンティストの世界である。 ここで、テスラが目指したのは「 世界システム」という装置だった。 これを使えば、情報とエネルギーを無線で地球上のあらゆる場所に瞬時に送ることができる!まさに夢の技術。 もちろん、この世界システムのキモはテスラ コイル。 ところがこの実験は莫大な資金を食いつぶしたあげく、とん挫する。 つまり、失敗したのである。 一人は送電方式で争ったエジソン。 エジソンは、1300もの発明をなしとげ、歴史上最も有名な発明家として名を残した。 もう一人のライバルは、無線通信で争ったイタリアのマルコーニである。 テスラとの戦いで勝利したマルコーニは、無線電信装置の発明した功績で、ノーベル物理学賞を受賞している。 テスラの2人のライバルは、世界を変えた発明家として、歴史にその名が刻まれている。 一方、テスラはこのような名声には縁がなかった。 かわりに得た名声が、マッド サイエンティストだったのである。 それでも一つ、ささやかな名声がある。 磁場の強さを表す 国際単位に「テスラ」が採用されたのだ。 テスラが陽の当たる世界で得たたった一つの名声であった。 テスラは、ハンサムで190cmを超える長身だったが、生涯独身だった。 晩年は一人でホテル住まいをつづけたという。 そして、1943年1月8日の早朝、家政婦によってテスラの死が確認された。 97年の人生であった。 ところが、テスラが死んだ後、 奇妙な噂が流れた。 死体が運び出された直後、FBI捜査官がテスラの部屋を物色し、テスラが発明した超兵器の資料を没収したというのだ。 こうして、偉大な電気工学者ニコラ テスラは、死して後も、マッド サイエンティストとして君臨するのである。 参考文献: 並木紳一郎 編著「謎のタイムワープ」学研 新戸雅章「超人ニコラ テスラ」筑摩書房 by R.B•

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