さま とき 誕生 日。 お釈迦様の誕生日を祝う「花まつり」 お釈迦様誕生の秘密を明らかに

お釈迦様の誕生日を祝う「花まつり」 お釈迦様誕生の秘密を明らかに

さま とき 誕生 日

4月8日は各地のお寺で花祭りが行われる 何かをつくるのに失敗したときや壊れてしまった時など「お釈迦になる」と表現することがある。 これは江戸の鋳物師の隠語で、一説には、「火が強かったから失敗した」と言うはずが、「ひ」が「し」になる江戸っ子なまりで「しがつよかった」になり、「四月八日(しがつようか)」に通じるから、「お釈迦になる」とシャレたのだという。 何故、釈迦の表現を使ったのかというと「しがつようか=4月8日」はお釈迦さまの誕生日とされているからだ。 しかし、お釈迦さまがいつ生まれたのか、明確に記録した資料はないようだ。 お釈迦さまが生まれた年でさえ、紀元前11世紀から紀元前4世紀の広い範囲で諸説あるほどで、誕生の日は伝統的にそう信じられてきた日であるとしか言いようがない。 たとえばユーラシア大陸の中央から東部にかけた地域で信仰されてきた大乗仏教(北伝仏教)では、中国暦の4月8日であると伝えられており、スリランカやミャンマー、タイなどに伝わった小乗仏教(上座部仏教)では、インド太陽太陰暦の2月15日をお釈迦さまの誕生日としている。 インド太陽太陰暦の2月15日はウェーサーカ祭りと呼ばれる仏教の大切なお祭りで、ウェーサーカは「第二の満月」の意味。 お釈迦さまが生まれたのも、悟りを開いたのも、涅槃に入定した(死去した)のも、この日だと信じられており、タイやインド、ネパール、カンボジアなど小乗仏教の国では、盛大な祭りが行われる。 国際連合の「国際的に認知されるべき祝祭」としても認定されており、国際的なイベントが開催されることもあるようだ。 中国暦の4月8日はどうかというと、現在の中国ではあまり大きな祭事ではないが、5世紀の『洛陽伽藍記』に記載されている内容には、釈迦像を神輿に載せて行列を作り、町中を練り歩いたことが記されているという。 日本における灌仏会とそのほかのお祭り 京都雨宝院の花まつり 日本では大乗仏教が主流だから、4月8日をお釈迦さまの誕生日とし、灌仏会(かんぶつえ)を開く寺院が多い。 別名は「降誕会(ごうたんえ)」や「仏生会(ぶっしょうえ)」「浴仏会(よくぶつえ)」「龍華会(りゅうげえ)」。 桜の花の開くころと重なることから「花祭り」「花会式(はなえしき)」と呼ぶこともあり、寺院の入口にポスターが貼られているのを目にしたことがある人も、少なくないだろう。 ただし、お釈迦さまの生まれたルンビニ園に花が咲き乱れていることに由来して「花祭り」や「花会式」と呼ぶようになったとする説もあるから、「花」が桜を意味するとは限らない。 灌仏会は大乗仏教系の寺院で行われ、参詣者は自由に参加できることが多いが、日蓮正宗など、お釈迦さまを本仏としない宗派では開かれない。 日本で灌仏会が最初に行われたのは、推古天皇14(606)年のこと。 『日本書紀』には、この年の4月8日に、銅と繍(ぬいもの)の丈六(1丈6尺、約4. 85m)の仏像がそれぞれ完成したことや、この日に開かれた斎会に、数えきれないほどの人が参集したことが記録されている。 また、飛鳥寺の金堂に仏像を安置しようとしたが、戸よりも大きかったため戸を壊して入れようとしたところ、鞍作鳥(くらつくりのとり)が工夫をしてどこも壊さずに安置したともある。 鞍作鳥の仏像はアルカイックスマイルと呼ばれる微笑を特徴とし、法隆寺の釈迦三尊像も彼の作品。 飛鳥寺での灌仏会は、腕の良い仏師に2体もの仏像を作らせるほど、重要な祭りとして始まったのだろう。 丈六は仏像の高さとしては一般的で、繍の仏像とは曼荼羅などの布に刺繍された仏像を指すようだ。 ちなみに盂蘭盆会が始まったとされるのも同じ年だから、この時代に仏教の祭事が日本に定着したと思われる。 ウェーサーカ祭りを開催する小乗系の寺院もあり、「ウェーサーカ」が転訛して「ウエサク」あるいは「ウエサカ」と呼ばれることも。 有名なのは鞍馬寺で5月の満月の夜に開催される「五月満月祭」の秘儀、「ウエサク祭」だろう。 古来天から強いエネルギーが降り注ぐと信じられてきたこの日、満月に清水を捧げ、すべての目覚めと平安のために祈られている。 灌仏会と甘茶 お釈迦さま誕生の際、九頭の龍が天から清らかな水を降り注いで産湯としたとする伝説から、日本の灌仏会では、右手を天に向け、左手を地に向けている釈迦像に甘茶を掛けて祝うならわしがある。 「灌仏桶」と呼ばれる浅い器に甘茶を満たしてあるので、参詣者は柄杓で甘茶をすくい、真ん中に安置された釈迦像に掛ける。 この像が何故右手を天に向け、左手を地に向けているというと、お釈迦さまは母親の摩耶夫人の脇から生まれ、そのすぐ後に七歩進んで、「天上天下唯我独尊」と、天と地を指して唱えたという伝説による。 この言葉は、「この世界で我ただ一人が尊い」という意味であるが、「お釈迦さまが俗界で苦しむ人々を救うために誕生したから尊いのだ」と説明されることもあり、「この世の人はすべてただ一人の人だから、すべて等しく尊い」と解釈することもあるようだ。 大きな寺院では、参詣者に甘茶が振る舞われることも多く、このお茶をつけて赤ちゃんの頭を撫でると丈夫に育つと信じられている。 また、このお茶で墨をすって習字をすると字が上達するほか、白い紙に「千早振る卯月八日は吉日よ 神下げ虫を成敗ぞする」と書き、逆向けにして柱に貼ると、害虫除けになるとも信じられているようだ。 甘茶とはユキノシタ科の落葉低木落葉性の低木アジサイの変種の若い葉っぱを蒸してからもみ、乾燥させたものを煎じて飲む。 甘味成分のフィロズルチンとイソフィロズルチンを含有しており、ショ糖の400倍以上の甘さがあるとか。 ただしあまり濃い甘茶を飲むと中毒を起こすので、厚生労働省は2~3グラムの甘茶葉につき1リットルの水で煮出すことを推奨している。 もう少しすれば水も空気も暖かくなり、外出に最適な季節となる。 4月8日に花見をするなら、そばの寺院にも足を延ばして参詣し、灌仏会に参加してみてはいかがだろうか。 厚生労働省のサイト.

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“おひとりさま”はひとりじゃない。『おひとりさま専用ウォーカー』誕生の本当のワケ|ウォーカープラス

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文/歩紀柚衣 雅子さまが母となった初めての会見 今日5月10日は『母の日』。 母の日は20世紀初頭のアメリカで始まった文化だが、すでに大正4年には日本に到来し、皇室では特に戦後ヴァイニング夫人の影響で認識されるようになったらしい。 現在の皇室で、『母の日』はどのようにいとなまれているのだろうか。 今回はある逸話を紐解いて、皇室の「母の日」を考えてみたい。 まず、『母』と言う言葉で多くの人が思い出すのは、平成14年4月2日の愛子さまご誕生に関する雅子さまの会見ではないだろうか。 平成14年(2002年)4月2日に行われた会見は、敬宮さま誕生のあと初めて行われる会見だった。 誕生の直後は文書だけだったため、記者皆の胸が躍り、記者クラブ全体が雅子さまの表情に注目していた会見だと言われる。 会見で記者から 「率直なお気持ちをお聞かせください」と聞かれた雅子さまがこのように仰ったことは読者の皆様も覚えているだろう。 今でも,その光景は,はっきりと目に焼き付いております。 それに対して記者クラブからもいろいろ批判があるが、今回ばかりは 『質問内容をじっくり皇太子さまと夜中に幼い敬宮さまを抱っこしながら二人で推敲されたのかな?』などと記者クラブの空気も和やかだったらしい。 それは愛子さまが女の子であるがゆえに皇統を継ぐことができないという宿命であった。 母・雅子さまの苦悩 この会見の約1年後、ご存じの通り、2003年6月には当時の宮内庁長官が定例会見で 「やはりもう一人は欲しい。 多くの国民もそう考えているのではないか」と発言し、時を同じくして雅子さまが療養生活に入られることになったのである。 当時を知る宮内庁関係者はこう語る。 「かつて天皇陛下が雅子さまに対して、 『一生全力でお守りします』と告げたように、この時に雅子さまも愛子さまを全力で愛し、そして一生全力で守っていこうと決意されたのかもしれない」と宮内庁関係者は話す。 しかし、そんな想いとは裏腹に、雅子さまはご病気になられ、公務と子育てのバランスに非常に苦しむことになり、特に2010年頃は公務に出られない中で必死に愛子さまの登下校を助けられたことはよく知られている。 その時には心ない中傷もあったが、雅子さまの心のうちにあったのは 「この子は 皇太子殿下からお預かりした子。 「雅子さまはご病気でしたが、決して『弱かった』わけではありません。 むしろご病気の逆風や第二子誕生のプレッシャーの下、愛子さまに深い愛情を注いでいこうと決意された 雅子さまは誰よりも『強かった』といえるのではないでしょうか。 マスコミの中傷や宮内庁の無理解は苛酷でした。 『親離れ、子離れできていない』などという三流週刊誌の記事には東宮家には放置が基本だった宮内庁もさすがに抗議したくらいです。 こうした事態に愛子さまも悲しみ、深く苦しみましたが、 雅子さまの『強さ』が愛子さまをずっと守ったのは間違いありません」(宮内庁関係者) そんな愛子さまと雅子さまの心を繋ぐ上で大きな役割を果たしたのが、手紙のやりとりであったという。 愛子さまからの手紙 「愛子さまは、非常に幼いころから、 雅子さまとお手紙で遊ぶのが大好きでした。 皇太子さまと雅子さまから教わった平仮名やカタカナを駆使して頑張って画用紙に書き、雅子さまにお送りする。 直接は恥ずかしいのでしょうね。 いつもきまって女官を経由して雅子さまには届くのでした」(前出の宮内庁関係者) 物心つくようになって 『母の日』という存在を知った愛子さまは、ある時、地方公務に行かれる雅子さまにお手紙をしたためたという。 「確か、東日本大震災の年の5月だったと思います。 埼玉県の避難所に公務へ向かう朝に、愛子さまから雅子さまにこの時は直接お手紙が渡されたんです。 封筒の表紙に 『帰りのお車の中で読んでください』と書かれて。 4月6日の公務以来1カ月ぶりの公務を終えた雅子さまは、『帰りのお車の中で…』のメッセージの通り、埼玉から戻る車の中で封筒からお手紙をそっと取り出し、指でなぞるように、何度も何度も繰り返しお読みになったそうです。 私は大丈夫です。 辛い体調を押して出た公務の合間に、愛子さまからのお手紙をお読みになって、人知れず涙をにじませていた雅子さま。 ご帰宅されたのちは出迎えに立った愛子さまを『愛子、いつもありがとうね…』と言って、そっと抱きしめたそうですね」(同前) 生まれてきてありがとう… あれから早9年…この逸話の当時は「皇族としての自覚がない…」などと中傷された愛子さまだが、母親の愛情を最も必要としていた時期に、母親からの愛情をしっかりと受けた愛子さまはお名前の通りに 人を愛し愛され、敬いの心を忘れない皇女さま・敬宮愛子にお育ちになった。 冒頭に引用した平成14年の会見で雅子さまは 「生まれてきてありがとうという気持ちの胸中は?」という記者の質問にこう仰った。

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「国家的マタハラ」を耐えた紀子さま 知られざる悠仁さまご誕生の内幕(宮本タケロウ)|菊ノ紋ニュース

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お釈迦様の誕生日は4月8日 お釈迦さまは4月8日に誕生され、昔から「 花まつり」として祝われています。 どうして「花まつり」と言われるのでしょうか。 それは、お釈迦さまは、どのようにして生まれられたのかに、由来があります。 お釈迦様の誕生 は、今から 約2600年前、北インド(現在のネパール)で、 カピラ城の王様の子供として、誕生されました。 父は浄飯王(じょうぼんおう)、母はマーヤー夫人です。 マーヤー夫人は、初産なので月満ちてから生家である隣国、拘利城(くりじょう)へ赴こうとカピラ城を出られましたが、行列が ルンビニー園という花園に差しかかったところ、突然産気を感じ、玉のような男子を出産されました。 4月8日。 時あたかも、 ルンビニー園の花は満開で、その中で誕生されたことから「 花まつり」といわれるようになりました。 生家の拘利城(くりじょう)へ行く必要のなくなったマーヤー夫人は、そのままカピラ城に帰還なされましたが、非常な難産だったため、産後7日目に逝去されました。 「花まつり」とは 「花まつり」は、いくつか呼び方があります。 灌仏会(かんぶつえ) 仏生会(ぶっしょうえ) 降誕会(ごうたんえ) 浴仏会(よくぶつえ) 龍華会(りゅうげえ) 花会式(はなえしき) 「花まつり」では、お釈迦様の像に甘茶をかけてお祝いします。 これは、お釈迦さまがルンビニー園で生まれられる時、うぶ湯の為に、天に9匹の龍が現れ甘露の雨を降り注いだということに由来しています。 それで、日本では、ある頃から、甘茶をかけるようになりました。 お釈迦さまの像 「天上天下 唯我独尊」 お釈迦さまが誕生した時、すぐに 東西南北にそれぞれ7歩ずつ歩いて、立ち止まり、右手で天を、左手で地を指差し「 」と叫ばれたとされています。 「花まつり」で見るお釈迦さまの像も、このときのポーズをしています。 7歩ずつの意味 7歩の7は「6+1」を意味しています。 6は 六道、 1は1歩出るということで 出離(しゅっり)を表します。 六道六界)とは、で、六つの世界があると教えられています。 地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界で、いずれも 苦しみ悩みの絶えない世界なので、迷いの世界といわれます。 この迷いの世界から出て離れて、幸せの世界へ往くことを、 六道出離といって、それを、7歩で表わされているのです。 また、それが、の本当の意味につながります。

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