毎日 のんびり 日本 語 教師。 JLPT出題予想

日本語の文法

毎日 のんびり 日本 語 教師

1年生前期会話 導入• 1年後期会話 初級• 2年前期会話 中級• 2年後期会話 ディベート• 2年後期作文• 文と文の間を適切につなぎ、関連付ける。 3年前期作文• 3年前期会話 ディベートとスピーチ• 死刑に賛成か反対か• 中国の高校の規則はもっと緩くするべきか 3年前期 日本経済• 日本語コーナー 10分程度のものから1時間遊べるものまでをまとめています。 今日は授業しないでゲームしたいという時に使えます。 相手に指定の単語を言わせたら勝ち!「タブーコード」 アイスブレイク 授業冒頭に雰囲気作りで行う5分程度のアイスブレイクをまとめています。

次の

日本語の文法

毎日 のんびり 日本 語 教師

国際交流基金では、日本語教授経験の全くない方、あるいは少ない方でも応募できる短期・長期のプログラムから、日本語教育のスペシャリストとして世界各地の中核的な日本語教育機関において、カリキュラムや教材作成の助言や現地教師の育成などを行う日本語専門家の海外派遣を行っています。 また、国際交流基金の国内施設において、海外から招へいした現地の日本語教師に対する研修事業を中心とした日本語教育普及事業や、日本語能力試験も行っております。 ご自身の経験に応じて日本語教育に関するプログラムを選んでいただき、世界各国の日本語教育普及のため、ご活躍していただくことが可能です。 どうせなら一流を目指そうと、在学中に一年間のインターンシップに出て、教える面白さと難しさを実感しました。 それと同時に、もっと力をつける必要があると感じたため、アメリカの大学院を目指すことにしました。 ところが、なかなか勉強が思うように進まずその道を断念し、いつかは参加したいと考えていた国際協力機構( JICA)青年海外協力隊としてドミニカ共和国に赴任することになりました。 協力隊の任地では、現地の人と力を合わせて教師会や日本語スピーチコンテストを立ち上げる機会に恵まれ、周囲と協力しながら仕事をすることを学びました。 そして、帰国後すぐに国内の大学院へ進学し、広く深く国際言語教育について学んだことで、経験と知識が結びつき、世界の日本語教育の最前線に出ていく自信も得ることができました。 国際交流基金での仕事は指導助手としてラオス国立大学に赴任したのが最初でした。 下積みの二年間だと思い、経験したことのない業務や苦手意識のあることを優先し、幅広く活動することを心がけました。 その後、フィリピンではEPA(経済連携協定)訪日前研修の副主任を任され、たくさんの日本語の先生をサポートする仕事をしました。 そこは多くの人と関わる職場だったので周囲から学ぶことが多く、自分を内省したりチームで苦境を打開したりして成長させていただきました。 現在は、ミャンマーで急成長する日本語学習者のために日本語教師育成プログラムをつくっています。 日本語教師の役割も時代とともに変化していると感じます。 すなわち、知識を効率よく与える役割から、学習者自身の学びを応援する役割へ。 私は今、その新しい役割を担う教師を支援するために、何をどのように伝えればよいか毎日知恵をしぼっているところです。 日本語教育の道は一本道というわけではありません。 たくさんの同志と共に駆け回る、岩場ありオアシスありの大草原のようなものではないでしょうか。 My キャリア 2005年~2006年 マカオ大学日本語教師インターンシップ 2008年~2010年 国際協力機構( JICA)青年海外協力隊 日本語教師(ドミニカ共和国) 2011年~2013年 創価大学大学院 修士課程 2013年~2015年 国際交流基金 日本語指導助手(ラオス) 2015年~2018年 国際交流基金 日本語専門家(フィリピン) 2018年~ 国際交流基金 日本語専門家(ミャンマー) 外国語を学ぶこと、教えること 大学を卒業して、すぐに海外で生活をはじめました。 時は「いけいけドンドン」のバブル時代。 それまでコンプレックスだったアジア性、日本性がオセロゲームのコマがひっくり返るように、ネガからポジに変わっていく高揚感が日本を支配していたように記憶しています。 ただ、私にとって「日本はすごい」という自己肯定的なメッセージは、他者の存在を覆い隠し、世界がどんどん狭くなるようで、息苦しく窮屈に感じました。 とにかく、「違うもの」に触れたくて日本を出ました。 外国ですぐに触れる「違うもの」は、言語と文化システムです。 外国で生活しながら、異なる言語文化システムを身につける過程は、日本語・日本文化で養成された自己を否定/更新/創造するもので、苦しくも快いものでした。 仮面ライダーを見て育った世代としては、まさに「変身」体験。 自分の言語・文化システムの再編成は、自分自身を作り、結果、私の生きる世界を作ることになりました。 海外の日本語教育の仕事は、変身人生にうってつけの職場でした。 なにしろ、共に学ぶ学生も、大いに変身していきます。 日本語を学んで日本に留学するもの。 日本には行かなかったけど、大学を卒業して、就職、結婚し、親になるもの。 日本に触れて自分の文化を見直すもの。 日本語教育を通じて、新しい考え、生活、価値観、自分を獲得する人々と接するのは、刺激に満ちた毎日でした。 彼/彼女らと生活を共にする中で、私の言語教育観も変わっていきました。 一言で言えば、海外の日本語(言語)教育は、学習者が持っている言語・文化に日本性をぶつけて、変身を促すこと。 文化的にも価値的にも新しい人と社会を作ることだと思います。 そう考えると、今、日本語教育が担っている仕事は、ごくわずかです。 できることは、もっと多いと思います。 私は、国際協力機構(JICA)と国際交流基金の派遣で、約20年、6つの国で日本語教育に携わりました。 JICAボランティア、国際交流基金の日本語専門家、上級専門家と、立場の違う仕事を通じて、日本語教育の可能性の広さも実感しました。 50歳になって、日本に戻ることにしましたが、多くの人からゆずりうけた「違うもの」を、変わりゆく日本社会に還元していこうと思います。 My キャリア 1994年~1997年 コルドバ日本語学校(国際協力事業団海外開発青年) 1997年~2000年 国際交流基金 日本語専門家(ウズベキスタン) 2000年~2001年 国際交流基金 日本語専門家(ロシア) 2003年~2006年 国際交流基金 日本語上級専門家(ウズベキスタン) 2007年~2010年 国際交流基金 日本語上級専門家(ハンガリー) 2011年~2015年 国際交流基金 日本語上級専門家(英国) 2015年~2018年 国際交流基金 日本語上級専門家(ブラジル) 2018年~ 早稲田大学大学院日本語教育研究科 教授 さまざまなプログラムを通じてキャリアを形成 私は大学卒業後民間企業で働いたのち、日本語教師養成講座を受講し日本語教師として働くようになりました。 特に海外での日本語教育に興味があり、韓国の語学学院で専任講師として働いたり、国際協力機構( JICA)青年海外協力隊の日本語教師としてタイ南部の高校で日本語を教えたりしていました。 そして青年海外協力隊での派遣が終わる直前に、国際交流基金の日本語パートナーズ事業が始まることを知り、タイの他の地域の日本語教育も見てみたいという思いから日本語パートナーズ(以下、 NP)に応募しました。 NPでは派遣事業の皮切りとなるタイ1期として、タイ中北部にある中等教育機関に派遣されました。 派遣校ではカウンターパートの先生と一緒に日本語の授業に入り、生徒たちの会話練習の相手や日本文化紹介等をしました。 生徒たちは元気いっぱいで、日本語や日本文化をとても楽しんで学んでくれていました。 一方でカウンターパートの先生と接する中で、現地の先生たちが教師としてのさまざまな業務をこなしながら、同時に日本語力や教授力を維持・向上させていくのは非常に難しいことだと感じました。 そして、日本語教育の質的な向上、継続のためには、現地の先生たちが情報交換をしたり学び合ったりできるようなネットワークの構築、また自律的に日本語や教授技術を学べるような環境を整備することも必要だと感じるようになりました。 私にとってNPでの経験は、より広い視点で教師支援に携わりたいという、次のステップへの後押しとなりました。 NP派遣後は日本に戻り、大学院で日本語教育に関する修士号を取得しました。 2019年4月からは、日本語専門家としてタイ北部地域の中等教育支援に携わります。 任地では配属先校への支援の他、北部地域の中等教育機関への訪問及びコンサルティング、教師研修などの開催、ネットワーク構築促進などを行う予定です。 これまでの日本語教師経験やNPでの経験も活かしながら、タイ北部地域の日本語教育に貢献したいと考えています。 国際交流基金にはいろいろなプログラムがあり、日本語教師としてのキャリアを形成していくことが可能だと思います。 いつか世界のどこかで皆さまにお会いできることを楽しみにしています。 My キャリア ~2007年 民間企業 2008年~2010年 韓国・語学学院 専任講師 2012年~2014年 国際協力機構( JICA)青年海外協力隊(タイ) 2014年~2015年 国際交流基金 日本語パートナーズ(タイ) 2016年~2018年 早稲田大学大学院日本語教育研究科 修士号取得 2019年~ 国際交流基金 日本語専門家(タイ ) 海外の現場が原点であり、原動力 日本語教師になりたいと考え始めたのは高校生のとき。 その夢を胸に修士課程で学んでいた頃、国際交流基金の日本語指導助手プログラムがあることを知りました。 日本語教育経験がほとんどなくてもよく、しかも、派遣先の国では日本語教育の専門家の指導が受けられるというのが魅力的で応募することにしました。 日本語教師の仕事が教室の中で教えること以外にこんなにも多岐にわたることに驚くと共に、日本人がほとんどおらず、日本の情報も乏しい地で、それでも目を輝かせ日本語を学ぶ人たちとの日々は、新鮮で充実したものでした。 10か月では、日本語教育の扉を少し開いただけで何も分かっていない、もっと知りたいという気持ちが大きく、帰国後すぐに日本語専門家に応募し、次の年にはフィリピンの国際交流基金マニラ日本文化センター(以下、 JFM)に赴任し、3年間勤めました。 現地の日本語教師支援が主な業務で、JFMの日本語上級専門家やフィリピン人講師と協力し、教師のための日本語や教授法講座、日本語教育フォーラムの企画・運営などを行いました。 また、3年目には、中等教育で日本語科目が新設されるのを受け、中等教育用の教材開発や、社会科や英語の高校教師が日本語も教えられるようになるための研修も行いました。 学習者に日本語を教えるのではなく、現地の日本語教師養成や教材開発など、日本語教育環境の整備というこれまでとは違った形で日本語教育に携わる貴重な機会となりました。 帰国後、国内で非常勤講師として勤めていましたが、海外の日本語教育に関わりたいという想いが大きくなり、国内にいながらそれが叶う、大阪にある国際交流基金関西国際センターの日本語教育専門員になりました。 ここでは、外交官や研究者のための訪日研修や、海外の学習者のためのeラーニング開発を行っています。 私自身は、主にeラーニングを担当しています。 ICTの発展に伴い、日本語の学び方、教え方は多様化してきています。 数年前からは、世界の学習者をオンラインでつないだライブレッスン授業も担当しています。 高校生のときには想像もしていなかった今の自分自身の姿。 海外の現場が私の原点であり原動力になっています。 現行の指導助手の任期は通常2年間。 My キャリア 2005年~2006年 国際交流基金 日本語指導助手(カザフスタン) 2007年~2010年 国際交流基金 日本語専門家(フィリピン) 2010年~2013年 大阪大学他 非常勤講師 2013年~ 国際交流基金関西国際センター 日本語教育専門員 日本語をとおして得られる、かけがえのない経験 初めまして。 私の名前は山口慧です。 現在、米国のウェストバージニア州の高校で日本語を教えるアシスタントをしております。 二年前、私が国際交流基金のプログラムである日本語パートナーズに参加したきっかけは、未経験者でも海外で活動できること、また任地の文化や言語を私自身も学ぶことができることに、魅力を感じたからです。 マレーシア任期中、同僚の先生や友人からマレーシアの文化について学ぶことができ、本当に良い経験でした。 米国若手 日本語 教員(J-LEAP に参加した理由は、日本語教育が米国でどのように行われているか勉強したく、又、英語力を向上させる為です。 ウェストバージニア州での主な活動内容は、授業における発音や会話のサポート、教材作り、文化についてのプレゼンテーションなどです。 また、今年の一月より日本語クラブを発足させ、週に一度活動しています。 経験は浅いですが、日本語教師という仕事は教える場所・相手によって変わるものだと感じています。 同じ文化紹介をしても学生によって反応は様々で、思いがけない質問を受け、勉強になります。 そして、学生の上達を見ることができるのは、本当に嬉しいものです。 学生の「分かった!」という顔を見るのは、とても励みになります。 きっと、かけがえのない経験が得られると思いますので、一度参加をしてみてください。 My キャリア ~2014年 民間企業 2015年(10ヶ月間) 国際交流基金 日本語パートナーズ 2016年~ 国際交流基金 米国若手日本語教員(J-LEAP) 日本語教授歴ゼロからタイへ、 そして、次のステージへ 私は、2015年5月から約10カ月間、タイで日本語パートナーズとして活動を行っていました。 主な活動内容は、タイ人教師のサポートや、生徒との異文化交流でした。 外国の教育現場に入り、カウンターパートの先生と一緒に日本語を教えることができたのは、日本語教授歴がゼロであった自分にとっては貴重な経験となりました。 活動の中で特に刺激を受けたのが、タイの学校事情でした。 目処の立たないスケジュールや、突然キャンセルされる授業などへのストレスを感じる毎日。 そんな私をよそにのんびりしているタイ人教師陣。 異文化の地に入り、そこで活躍できる日本語教師になるためには、自分の常識や文化的背景をものさしにしてはいけない、という最も基本的なことを学びました。 今後は、国際交流基金の「日本語指導助手」として、2018年からオーストラリアで活動することが決まりました。 タイでの経験を踏まえ、海外での日本語教育についてより一層学び、次へのステップアップに繋げられるよう、活動していきたいと思います。 国際交流基金では、生活面や精神面などに対してしっかりとしたサポートを提供してくれるので、無用な心配や不安なく活動できます。 いつか基金のプログラムを通して一緒に活動できる仲間が増えたら嬉しいです。 My キャリア 2015年~2016年 日本語パートナーズ(タイ) 2018年1月(予定) 日本語指導助手(オーストラリア) 様々な形で学ぶ人たちと寄り添うことで得られること 今まで多くの日本語学習者を見てきました。 日本の学校の教壇に立つ夢をもち、教員資格試験合格を目指して猛勉強していた中国人男性。 「先生、この教科書、全部覚えたら、日本語、話せるようになりますか」と屈託のない笑顔で質問してきたエジプトの男子大学生。 日本に住み、日本語能力試験1級も合格したのに、会社の同僚とうまく話せないと悩んでいたカンボジアの男性。 オレンジレンジの"花"を何度も何度も聞いて、聞き取った歌詞を薄っぺらな日本語の辞書で調べていたベトナム人女子学生。 日本語で論文を書くのは大変と泣きながら真っ赤に添削された原稿を読み直していたミャンマーの留学生。 「私、英語がわからないから数学も歴史も物理もだめだけど、日本語はクラスで一番なの」と誇らしげに語ってくれた英国に移り住んだ女子中学生と、その傍らで慈しむような目で彼女を見つめていた英国人の日本語の先生。 いろいろな人が、いろいろな環境の中で、いろいろな目的を持って、いろいろな方法で日本語を学んでいます。 日本語教師は、その人たちの傍らでその人たちの学びに寄り添い、必要なときに必要な手助けをする、そんな仕事です。 異なる文化・習慣・考え方を持つ学習者と共に語り合い、教え合い、学び合う中で教師の人間力も広く深く、豊かになっていくと思います。 My キャリア 1987年~1990年 大阪YWCA専門学校日本語科専任講師、 および大阪外国語大学留学生別科非常勤講師 1990年~1992年 国際交流基金 日本語専門家(エジプト) 1992年~1994年 大阪外国語大学留学生日本語教育センター非常勤講師、 および関西大学国際交流センター非常勤講師 1994年~1999年 国際交流基金 日本語国際センター専任講師 1999年~2002年 国際交流基金 日本語上級専門家(英国) 2002年~2007年 国際交流基金 日本語国際センター専任講師 2007年~2010年 国際交流基金 日本語上級専門家(インドネシア) 2010年~ 国際交流基金 日本語国際センター専任講師 日本語教育の海で、まだ見ぬ世界を求めて 人生はよく「航海」に譬えられます。 順風もあれば逆風もある。 嵐の日も凪の日も。 進路を見失ったら、灯台が導いてくれる。 6年前、それまで決して平穏ではなかった私の人生の航路は一気に拓き始めました。 きっかけは、日本語教育との出会いでした。 日本語教師になってまもなく、国際交流基金の米国若手日本語教員派遣により、中等教育機関で日本語を教え始めました。 日々の授業からカリキュラムやコースデザインまで携わり、受入校の日本語教師と協働しながら、日本語プログラムの発展に取り組みました。 さらに、活動は受入校内にとどまらず、日本語イマージョンキャンプ運営や日本文化の出張授業など、地域・州規模の日本語教育支援も精力的に行いました。 2年の派遣期間を終えた私は、より専門的に日本語教育を学ぶため大学院に進学しました。 ティーチングアシスタントとして日本語クラスを担当しながら、映画鑑賞会などの文化イベントも企画するなど日本語学習者コミュニティの活性化にも尽力できたと思います。 そして、2017年7月から日本語専門家としてインドネシアの中等教育支援に携わります。 日本語教育界でホットなインドネシア中等教育。 貴重な機会を与えていただき、期待に胸が膨らむばかりです。 任地では、教師研修や地域教師会の支援といった「教師のサポート」を中心に担当します。 これまでの経験や知識を総動員し、地域の日本語教育に貢献したいと思います。 私の航海はまだ始まったばかり。 世界は広い。 しかし、思っている以上に世界は狭い!いつかどこかで皆さんとお会いするかもしれません。 その時はぜひ、皆さんの「世界に一つの航海日誌」を聞かせてください。 楽しみにしています! My キャリア 2013~2015年 国際交流基金 米国若手日本語教員(J-LEAP) 2017年 米国Purdue University修士号取得(応用言語学・日本語教授法) 2017年7月 国際交流基金 日本語専門家(インドネシア).

次の

日本語の文法

毎日 のんびり 日本 語 教師

使える語はかなり少ない。 「びっくりする・安心する・うれしい・悲しい・恥ずかしい・がっかりする・寂しい・気持ちがいい/悪い・困る・残念だ」などの感情を中心に扱う 3.意志表現の代表的なものに、「私は~ます」というのがあるが、これが「私は~ました」になると意志表現を含まないものとなる。 その場合事実を描写しているだけなので、意味を含むか含まないかは関係がなくなるのだ。 手紙を読みます・びっくりしました T: 手紙を出し、読みだす あ~よかった・・・ S:どうしたんですか T:母が…母が…、退院しました 手紙を読みます・安心します ダメだと言われてがっかりしました 先生に会えて、嬉しいです ゴキブリを踏んで、気持ちが悪かった 元気で安心しました 結婚してと言われて嬉しかったです 無意志Vナイ+くて、~ 【原因】 - 教える際の留意点- 1.授業では絶対にクテの前が無意志である事は触れない。 後件にだけ触れる T:ナクテは後件無意志!ナイデは後件意志! T:最近寂しいです S:どうしたんですか T:私の家族は大阪にいます S:私の家族も韓国にいます T:寂しいですね 、寂しいです。 Aくて/Naで、~ 【原因・理由】3 - 教える際の留意点- 1.前件は後件の原因を表す。 【板書】 声が小さくて、聞こえません。 T:どうして聞こえませんか。 前件を「~くて」に変換し、後件は過去形にしないといけないので難しい• 字が小さくて、見えません• 字が小さいです・見えません• 説明が複雑でした・全然わかりません• 人が多かったです、休めません• 新聞は漢字が多いです・• 韓国料理は辛かったです・• 家は駅から近いです・• アルバイトは給料が高いです・• アルバイトは暇でした・• 先生は 、好きです• B:今晩ですか。 ちょっと都合が悪くて……。 A:行けませんか。 B:ええ、すみません。 また、今度お願いします。 それから、この文型は悪い状況によく使うので、むしろ積極的にそういった言葉やマイナスなイメージを使った方がいい。 T:この間、駅前で火事がありましたね。 見ましたか S:見ました T:人が亡くなってしまいました。 3人亡くなりました 【板書】 火事で3人亡くなりました。 Vフ+ので、~ N4 【理由】 - 教える際の留意点- 1.「ので」は聞き手に対するインパクトが弱いため許可を求める際の理由や弁解を柔らかく表現する時に用いる。 2.この「ので」で一番やりたいのは許可を求める表現。 ここを強調して、練習も多めに行う。 3.ふつう形と接続すると教えるが、実際は丁寧形とも接続する。 聞き手に対する丁寧さを表せる。 4.な形容詞と名詞は定着しないので、よく練習しておく。 T:昨日どうして休んだんですか S:風邪でした 【板書】 風邪だったので、休みました。 T:風邪でしたから、休みました。 新出語• うれしい:• 焼けます:食べ物は調理される、家は火事で一部分が焦げる意味。 燃える:外見的なものに焦点。 焼ける:内面的なものに焦点。 燃えるは「炎」、焼けるは「燃えている物体」に焦点。 魚が燃えたというと炎は上り食べられない。 魚が焼けたは火が通って食べられる状態を言う 授業記録 意志無意志 そもそもなぜ「食べます」が意志で「食べられます」が無意志になるのか理解できていない学生が多い。 可能にはそれ自体で状態を表す効果があるためである。 これ以降もまだまだ意志無意志を意識させる文型は出る ~て、感情 感情のところに「嬉しい」が来るのか、「楽しい」が来るのか。 詳しくはを読んでいただきたいのだが、これの誤用が後を絶たない。 いくつか紹介する。 この誤用を予測して、L38で「~のは楽しい・嬉しいです」 を教えておくのである。 これに「フので」を足すと 〇お時間もございませんので、~ ?お時間もござらないので、~ ?お時間もござるので、~ になるので、注意(授業では触れない).

次の